ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

重いなあ、重いよ。「女性ならでは」のエピソードが山ほど出てくるけれど、「戦争は人間の顔をしていない」が正しいのだろうなとは思う。

戦争に勝った側の人間の、被害も加害もすべてまとめて一度は飲み込まされた、社会から隠された、その先に語られた証言が重いのは言わずもがなで、それでいて日本の、例えば原爆被害や沖縄戦、もしくは「従軍慰安婦問題」で語られるオーラル・ヒストリーとは異質なものを感じた。

思うに、個人の体験は何にも増して重いものなのだけれど、それを他の誰かが政治的に利用した瞬間に、「重さ」は失われるのではないだろうか?アレクシェーヴイッチは何かを「告発」するために証言を拾ったわけではないように、少なくとも自分には読めた*1し、またその立場は翻訳を行った三浦みどり氏のスタンスとも共通するのではないか…と、そんなことを考えた。はじめてアレクシェーヴィチの「アフガン帰還兵の証言」を読んだときに感じたのは、例え鉄のカーテンの向こう側にいたって同じ人間なんだよなーとかそんなことで、よいとかわるいとか、そういうことではなかったよ。

とはいえ、著者がノーベル文学賞を受賞したのは明らかに政治的利用の産物であったり、今回の岩波現代文庫版で付記された解説(澤地久枝による)がかなり露骨な安倍政権批判を書いてるのを見るに付け、個人が政治に利用され続けるのは今後もずっと変わらんのだろうなあと、重い気分になる…

それでもね、この名著が広く読めるようになったことは、歓ぶべきことなのですけれど。

*1:むろん証言者の中には誰かや何かやスターリンなんかを告発するものも多々存在する