サブタイトルを『化石に見る「眼・顎・翼・あし」の誕生」とし、全体のテーマを「攻撃と防御」「遠隔検知」「あし」「飛行」「愛情」の5つに章立て、それぞれのパートでそれぞれの機能を有するエポックな古生物について解説したもの。もともとは雑誌「みすず」の連載記事だそうでってそんな雑誌があるとは初めて知ったのだけれど、過度に専門的ではなくコラム感覚で読みやすいものです。古生物学、特に恐竜研究については日々日進月歩で情報は書き換わっていくけれど、三畳紀当たりの生物で懐かしい名前を見たりするとまあ、なつかしいものですね。簡潔な記述ながら、「そもそも顎って攻撃のための機能を持つ器官なんだ」とか「生物が飛行するのに羽毛と翼を得たのは進化の相当後の時代なんだ」とか、再認識することが多い。こと恐竜だけに限っていたら見えてこないものも多くあるので、世の恐竜キッズの方々も恐竜以外のコトモノにも視界を広げてほしいものですね。とか思っちゃうのは、自分自身が古生物に成りかかって来たからだろうなあ…
「あし」の章は特に楽しく読めました。歩行って不思議で水中で産まれた生命が地上に上陸し、そこから更に空中に羽ばたいていくものだけれど、考えて見えると「水中」と「空中」の生命は流体の中で3次元機動しながら生きていて、ただ地上を歩行する生命だけが地表面を2次元的に動いている。案外歩行生物というのは生命体の中でも中間的存在なのかもなーと、そんなことを妄想したりです。我々人類も2次元的に生きているので、2次元に心を惹かれるのはごく自然なことなんであります( ˘ω˘ )
「愛情」の章は結構怖い。このパートは出産や育児、生殖行為や性的アピール機能についてのパートなんだけれど、「愛情」というのは結局、生命を(世代を)連続・連結させていくために獲得された機能のひとつに過ぎないのかも知れない。繁殖と増加のために愛情が不要になれば、生命はそういう進化をするかもだ。そんなことを考える。
進化というのはポケモンと違って、もっとなにか冷徹で合理的で、個別の意志が介在し得ないようなものなのかもしれない。稀に化石に残される非合理な(ように感じられる)古生物の存在こそが、進化が合理的なものであることの証か…
やっぱりね、生物がまだ未進化でなんらの特別な機能も持たず、平和で穏やかに暮らしていたエディアカラ紀こそが、我々が追われた楽園、決して回帰することの出来ない「生命の胎」なんですよきっとそうだ。ああ、生まれ変われるものならカンブリア以前の時代に行きたい。私は貝ですらない。