ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ジャスパー・フォード「最後の竜殺し」

何気なく読んだらすごく面白かったんで拾い物というか掘り出し物というか。竹書房文庫もSF界隈ではよく取り沙汰されるようになったけれど、ファンタジー方面だと「竜のグリオール」シリーズぐらいしか名前を聞かないような気がしますが、実際のところはさてどうなんだろう?

カバー画でもわかるように現代が舞台なんだけれど、魔法の使える現代、魔法の使えるイギリスが舞台。ただしこの世界のイギリスは「不連合王国」という体制で小王国・公国が群雄割拠してるようです。そんな体制でよく21世紀まで命脈保てたなとか、そういうのはいいから(´・ω・`)

主人公ジェニファーは様々な能力を持つ魔法使いたちを雇用している「カザム魔法マネジメント」の社長代理を務める孤児院出身16歳の少女で、ロボに乗らずに日々真面目に会社経営を行う竹尾ワッ太みたいなものです。そんなの竹尾ワッ太じゃねーです(´・ω・`) ちなみにジェニファー当人は魔法使いではないので、ちょっと離れた立ち位置から魔法を見ている。割とこれ大事かもしれない。話の内容というより読者に対する視点人物としての、魔法的なものへの距離感。

それでその、魔法が使える現代社会で魔法が、魔法使いがどのような地位を占めて何ができるか、どのような制約を受けるかという「説明」パートを、カザム魔法マネジメントの新入社員、同じ孤児院出身のタイガーに会社の業務内容を「説明する」ことで読者に提示するという巧みさにまず驚く。魔法と竜の関係や、世界にただ一匹だけ生き残っている竜の在り様、さらに日々衰えていた世界の魔法の力が急に強まっていることなど、様々な情報が提示されます。

その後も、どちらかと言えば巻き込まれ型な主人公であるジェニファーに対して要所要所で様々な「説明」が成されて、その語り口がなんか自然です。ただ巻き込まれるだけではなく、竜殺し(ドランゴンスレイヤー)に会いに出向いたら半ば強制的に弟子になり1分で速成教育されるや(そして先代は説明だけ説明すると砂と化してすぐ死ぬ。スナァ…)一転能動的に物語に関わっていく……的な。聡明な女子が機転を利かせて大人社会と渡り合っていく様は「パン焼き魔法のモーナ、街を救う」を思い出したり、なんなら「ゾーイの物語」を思い出したりもします。

 

あれかね、近年の欧米でライトノベル読むのは女子層ばかりなのかね(´・ω・`)

まあともかく、書影の帯にもあるように竜殺し(ドラゴンスレイヤー)になったジェニファーの敵はドラゴンよりも竜の死を利用して金を儲けようとする*1守銭奴的な資本主義社会で、それらに対して毅然と振舞う女の子というのは、良いものですな( ˘ω˘ )

色々あって結局ジェニファー本人は、実は連綿と続く長い計画の上に乗せられた最後の1ピースだ、ということに気づかされるのだけれど、単に流されてるだけではない、そういう良さは有ると思います。初めて読んだ著者だけど、これまで何冊か邦訳自体は、あったようで。それで全体的にちょっと古めかしいのが良いんだろうなあ。登場人物に老人多いし、出てくるガジェットも全体的にレトロです。21世紀のイギリスなのにジェニファーの愛車は古びたフォルクスワーゲンだし、ドラゴンスレイヤーの専用車両は「スレイヤーモービル」というのだけれど(バットマンかーい)なんとまあこれがロールスロイスの装甲車なのだ。1920年型とか24年型とかあのへんでしょう。良いねえ。マスコミも新聞・テレビでネットとか動画サイトとか無いのよ。スマホも無い(無線電話は有る)。そういう、ちょっと古風なところが竜と魔法使いという、ちょっと古風な者たちの話に合ってるのかも知れません。

むかし、「ドラゴンスレイヤー」って映画がありましたね。あれも最後の竜が死んで新しい時代が始まる話でした。最後の竜が死んでそこから始まる新しい時代は続巻「クォークビーストの歌」で語られるのでしょう。今回非業の死を遂げた愛すべきクォークビーストになにが

 

あっクォークビーストについて何も書いてなかった💦

まあ読んでください、面白かったですよ(´・ω・`)

 

*1:この世界のドラゴンは「ドラゴンランド」という保護地域に生息していて、ドラゴンが死ぬと広大で手つかずの土地が所有者無しで突然解放されるので、所有権を狙ったり隣国と地域紛争の危機が起きたりする