ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

高野史緒「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」

刊行以来評判が高かった1冊を神保町ブックフェスティバルでサイン本購入。いろいろと声は聞こえてきたので二人のキャラクターがそれぞれ属するパラレルワールドが交錯する物語だ、というお話の構成は予習していました。夏紀と登志夫、それぞれの2021年の世界が1章ごとに入れ替わっていく章立てなので、1組つまり2章ずつのセットでゆっくり読んで行ったのだけれど、最後のクライマックスはなんかもったいなくて引き延ばした(笑)

うん、面白かったです。夏紀のいる世界は明らかに現実の(我々の)ものとは違っていて、反重力技術が実用化され月や火星にまで人類が進出しているのに、情報技術は立ち遅れていて携帯電話は普及率が低く、パーソナル・コンピューターはWindows21なるOSで動かされ、おまけにソ連が存在している。対する登志夫の属する世界は我々の(現実の)世界のようだけれども量子コンピューター技術にはやや差異がある。それぞれの世界の土浦(霞ヶ浦)で、1929年に来日した飛行船グラーフ・ツェッペリン(LZ127)は墜落事故を起こしていたのか?それとも無事に着陸したのか?夏紀の世界では墜落したことになっているのに、夏紀自身はそれが墜落していない「事実」をどこかで知っていて、無事に着陸したはずの世界で登志夫はそれが「墜落した」過去の記憶を知っている。お互いの周辺で起こる謎の現象、やがて二人の意識は結び付流れ、そして――

「飛行船と言えば落ちるのが相場だ」みたいなこともあるんだけれど、本作に於いては「落ちたのか/落ちなかったのか」という未決定な過去のブレ、量子SFの題材として扱われていたのが面白かったです。結果として希望は繋がれるのですが、そのために失われるものもありで、喪失感とそれを挫折とせずに受け止め進むところが青春なんだろうなあ。そんなことを思いました。やっぱり「絵」にはなるのですよね飛行船。リアリズムではなくてシンボリックな扱いなのがいいのかな?

しかし高野史緒の文章もずいぶん丸くなったなーと思いながら読んでいたら、あとがきでいろいろ心情の変化について綴っていてちょっとしんみり。そしてこの作品、パイロット版が短編で先に出ていて、おまけに既に読んでいた…!

けどすっかり忘れてた(´・ω・`) 

abogard.hatenadiary.jp

うーむたしかに触れていないなあ。読み直さないといけませんねこりゃあね。

 

そうそう、なぜか不思議なんだけどこの作品「説明」っぽいパートがあまり苦にならずに読めました、そこはちょっと解明したいものがある。

 

<追記>

パイロット版と言える短編「グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行」再読する。長編版のクライマックス、量子空間でタグ付きの風景の中を駆けていくシーンが主なんだけど、登志夫は夏紀の従兄弟でアメリカ在住、パラレルではなく同じ世界に住んでいる。流れているのは「時間」ではなくて「情報」だというテーマは、むしろこちらのほうが際立っている印象を受けるけれど、ごく普通に、まるで夢から覚めたように現実に戻ってなんとなく納得して終わり。というエンドなので長編版にあるような前向きのペシミズム(か?)は、感じられない。なるほどー。