ところで、カミナギは俺の嫁なわけですがみなさん、「エンタングル:ガール」に続くこの高島雄哉版ゼーガペインスピンオフ小説「ホロニック:ガール」では俺の嫁大活躍ですよついにネ申ですよネ申!!!(本当)
というわけで姉妹編・シリーズ第2弾は最初から文庫本として固定されて世に生まれてきました。なお前作の感想についてはこちらをご覧ください。記事が3本もあるぞ💦
とはいえ、WEB版(矢立文庫版)の「エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部」はもう冒頭だけしか読めないんですね。いささか残念なことではありますが、データロストもゼーガペインには日常(´・ω・`)
読了してすぐに思ったのは「広げたなあ」ということで、これまでいくつものノベライズ作品がゼーガペインの世界を深め、広げてきたけれど、こんなに遠くまで Zeit und Raum が広がるものだとは思わなかった。それだけのポテンシャルを、基盤となったゼーガペインの世界が持っていたということなのでしょうね。(これは批判でも皮肉でもなく言うのだけれど)なんとなく「青の騎士ベルゼルガ物語」のようでもある。やはりゼーガペインにはソノラマの空気感があるんだ、そういうこと。
ファンの間ではよく知られた話だけれど、ゼーガペイン最終回のラストシーン、懐妊した女性が「早く生まれておいで、世界は光でいっぱいだよ!」と語りかけて終わるシーン、CVこそ花澤香菜さんがあてているけれど、台本にはただ「女」とあるだけでカミナギ・リョーコだとは明示されて無いのよね。「ホロニック:ガール」のお話がどれだけ遠くに行ってしまっても、最後はちゃんとそこへ落着するのは流石だなあと思います。プロに流石も何もないですが。
前作は映画を撮る話、それと対比するように今回の前半部分では、生徒会長になった守凪了子が演劇部の助っ人というかなんというかで劇を演じることになります。時系列的にはプロジェクト・リザレクションを終えて舞浜サーバーに9月1日以降が生じた時期。本書は新作「ゼーガペインSTA」のスピンオフでもあって、オルタモーダも登場します。特に「作るな」もといツクルナさんはかなり重要な役どころで、映画での活躍にも期待大ですね。京とハルは結構仲良さそうなんだけど、どうなるんだSTAは……?
それではまあ、劇というのは(普通は)舞台の上で虚構を演じるもので、虚構の役割を演じながらも「舞浜南高校の生徒会長」である自分もまた虚構の存在なのだと、そんなことを思う守凪さんがちょっと、ちょっと可愛いじゃないですかブンブンブン!!!(腕を振り、観衆に向けて熱狂的に語る)演劇やっている内にテンション高まって何か見えてしまうというのは恩田陸の「六番目の小夜子」を思い出したりだ。古い細胞が疼く。その守凪了子という存在自体が実は……だ。という、これはかなり攻めた記述もアリで震えますねいろいろとね。
そして前作読んだときに「このひとガルズオルムになりそう」とか思った天音先輩も無事普通にセレブラントに覚醒して、さらにはリザレクションした千帆先輩と子供作ったりしますうわっ!女の子同士でそんなことできるの?出来る!ゼーガペインの世界にはそれだけのポテンシャルがある!!人類の進化万歳!!!「ゼーガペイン」シリーズを通じて描かれている「実体を持たない幻体は実際のものごとに、人間にも触れられない」という命題に対して、天音と千帆というオリジナルキャラを使って、それを超えてしまう解を導く。そういう役どころになっています。それもまた、巧みなところで。
なお渦原先輩はロストしたままである。現実は非情だ(´・ω・`)
あーあとあれ、守凪たちが演劇に関していろいろ歓談する際に、シェークスピアの「テンペスト」が引用するされるんだけど、そこでのプロスペローの台詞が「我々は夢と同じもので出来ている」(実際には坪内逍遥役なのでもう少し古い文語体である)なのね。重ねてさらに守凪が言うには
「ううん。劇を原作にした映画は見たけどね。そっちはプロスペローじゃなくてプロスペラーって性別を変えていた」
じゃん!!!!
まあちょっと、うふふってなりましたわよ(・ᴗ・)
巻末の「カーテンコール」は、いわばあとがきなんですが、そこでは本作の執筆に於ける順番について記されています。なんかここが、ちょっと刺さった。章立ての順番に書かれたわけではないという旨なんですがフムン……
とりあえず初読の感想はそんなところなんですが、考えてみればこの感想も「物語りの順序」に従ってる訳ではないんだよな。
おっと書き忘れてた。本文途中で271451体のイェルが出てきた(本当)とこで
「あ、姉十兆人!!!」
なんて呻く程に、十分高島雄哉SFしてました。ランドスケープは夏の季語ですね( ˘ω˘ )