ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

川上和人「鳥肉以上、鳥学未満」

 

鳥肉以上,鳥学未満.

鳥肉以上,鳥学未満.

 

 バード川上による鳥類学の本。雑誌「科学」連載当時のタイトルは「鳥学キッチン」だったそうで。

 

ところでみなさん、焼き鳥ではどの部位が好きですが?ぼくは「ぽんじり」をタレで食べるのが好きなんですが、これまでそれほど公言してはきませんでした。ぽんじりって余りない(スーパーのお惣菜売り場ではまず見かけない)し、なんといってもあそこトリのケツでしょ?あんまり尻が好きだ好きだ言うてると、アナルコ・サンディカリストと勘違いされるかもしれないじゃあないですかぁ…。などと思っておりました。

 

本書を読むまでは。

 

本書は鳥、鳥類とはどんな生物なのかを鳥肉の部位ごとに分けて見ていく鳥肉屋の店先ゼミみたいな内容です。そんなゼミねーよ。食べ方や美味いかマズいかみたいな話もされるけれど、あくまで「肉」や内臓、骨格の話であって調理に関する本ではない。「キッチン」というよりは解体である。おお、ブッチャー!

文体は例によって軽妙洒脱で、途中脱線が過ぎるような気配もあるけれど、連載記事として毎月読むにはちょうどいいスピード感だったのでしょうね。本文記述は最も代表的な(人の身近な)存在であるニワトリを軸に語られるけれど、ニワトリは鳥類の中でもかなり特異な存在だということも、もちろん忘れずに。

ふだんそんなに鳥に付いて読んでないから、やっぱり勉強になりました。渡り鳥が渡りに備えて内臓を肥大化させるとか、皮に毒を有する(餌の昆虫から二次的に取得する)種類の鳥がいるとか、簡潔で入門的な内容に、驚かされることしきり。

じゃあ恐竜はどうだったんでしょうねというのは気になるところだけれど、それはまた別の話になるのだろうな。胃石も道具の使用のひとつではないか?との指摘に思わず膝を打つところではありますが。

 

で、ぽんじりですよ。不勉強な自分はこれまでぽんじりのことを鳥のケツだと誤解していて、あれを食べるたびに何がしかの不安と得も言われぬ背徳感を味わっていたのですが、本書を読んで勉強になりました。ここは「尾脂腺」と呼ばれる羽繕い用の脂分を分泌する器官であると。なるほど弾力も脂肪分も十分だから歯ごたえと味わいが同時にある。無論鳥類は卵生ではありますが、その機能や形状から演繹的に解を導き出せば、すなわちぽんじりとは鳥のおっぱいである。そう考えれば

 

セーフ!!

 

ハーラン・エリスン「愛なんてセックスの書き間違い」

 

 なんとも刺激的なタイトルで「『世界の中心で愛をさけんだけもの』には書き間違いがありました!」みたいな話を期待したいところだけれど、そんな訳はない(笑)

ハーラン・エリスンの初期作品を集めた短編集。もともとアメリカでこのタイトルで出版された著作はあったのだけれど、日本版の内容はオリジナルの編集である。ちなみにこの刺激的なタイトルは、個々の作品には無かったりする。いろいろややこしい*1

非SF作品というか犯罪、ストレートに暴力をテーマにしたものが多く、それは巻末解説でも指摘されているようにその後のエリスン作品の助走のようではある。社会(社会性)をテーマに執筆すれば必然的に暴力がテーマとなる時代や視座というものは確かにあって、それは執筆当時の時代や視点を反映するものだ。だから、これらの作品はいずれ陳腐化しなにか牧歌的なもののように受け止められることだろう。社会が進歩するように、社会の持つ暴力性も進歩していくのだから*2

それでもまだ、今この時とこの場所では、ハーラン・エリスン作品の暴力性はクールで鋭く刺さってくる。それはもちろん翻訳の鋭さに依るところが大きいのだけれど、若き日のエリスンが鋭く尖っていたことの、現れなのではあろう。

「ガキの遊びじゃない」「ジルチの女」「人殺しになった少年」とりわけこの3つが良いなあと、暴力って人を殴ったり蹴飛ばしたり銃弾で穴を開けることではなくて、それは個人の意に反して何かを強制することなのです。

*1:「パンキーとイェール大出の男たち」「教訓を呪い、知識を称える」の2本で台詞として発せられてはいる

*2:それは例えば最先端の殺戮機械であった第一次世界大戦当時の戦車や戦闘機が陳腐で牧歌的な存在に感じられるようなものだ

カート・ヴォネガット「カート・ヴォネガット全短篇 3 夢の家」

 

 忘れたころに読んでくシリーズ(笑)今回は「セクション4 ロマンス」の続き5本と「セクション5 働き甲斐VS富と名声」19本の構成。「富と名声」を「働き甲斐」に対峙させちゃうのは正直どうかと思わなくもないけれど、実際そういう話が多い。要は金持ちと貧乏人で、大抵の場合貧乏即ち善である。そう、これは童話なんだなとようやくなにか落ち着いた気分になりました。これまでは「将来の古典」とか「気の抜けたO・ヘンリー」みたいな感触だったけれど、男女関係や労働問題を題材にして<大人向けの>童話を書いたらこんな話になるのかも知れない。感傷も感動もどこか甘くて、決して濃過ぎたり刺激的過ぎたりはしない。長編はむしろ劇薬とか毒薬みたいな話が多い人だけれど、その成分の中核には、こういう甘いものがちゃんとあるから、劇薬も毒薬も薬になるのであろう…

痛いだけではお話にはならんと、それは個人の感想です(ここは個人の感想を書くブログです)。

今回収録作の中では本書初出の「都会」というのがもっとも良かったけれど、それでもやっぱり本編より巻末解説(今回は川上弘美による)が面白かった。その面白いポイントは、実はヴォネガットとはあんま関係ないんだけれどw

「どろろ」

見た。1クール作品の多い昨今のTVアニメ業界にあって久しぶりの2クール作品、そのボリュームに十分応じるだけの濃厚で重厚な1本だった。

 

実は原作も昔のアニメもその内容はほとんど知らなかったし、多宝丸に至っては存在すらまったく知らなかった。だからかもしれないけれど実に新鮮にファーストインプレッションを楽しめたように思います。

未消化なまま終わった原作にル=グウィンの「オメラスから歩み去る人々」のようなテーマを付与して、そのうえで最後は原作のようにまとめるのだなー*1。「どろろと百鬼丸」それぞれの道は別々に続いて、そしていずれはもう一度交錯するような余韻。

 

良いですね。

 

るろうに剣心追憶編」の古橋一浩監督だけに殺陣は相当気合が入っていて、特に両腕を取り戻した百鬼丸のリーチがわずかに伸びるのと、それに対峙するために多宝丸が城内に誘い込む流れとかいろいろ。そして現代風なテーマ化と思いきや、どろろの精神性はなんか手塚作品っぽいんだよな。それもきっと大事なところで、醍醐景光が鬼神にならないというのも、同じくらいに大事なことなのでしょう。「オメラスから歩み去らない人々」の、これはそういうお話なんだと思います。

 

しかし人形みたいな男とその相棒である小さな良心というのはピノキオとジェミニィ的ではある。あるいは石森章太郎の「人造人間キカイダー」との差異を求めても良いかも知れない。

*1:いや大体の構成はwikiとかで見たのよ

川村拓「事情を知らない転校生がグイグイくる。」③

 

 3巻にしてようやく?周囲の人間が何を考えどう動いているのかが掘り下げられてきたように感じる。中核となる2人の関係性は2巻までで強固に構築されているので、この先はこういう面も深めていくのだろうな。単に小学生男女の淡い関係が素敵だというだけのマンガではなくて、善良な精神が小さな社会をどう変えていくのか、そんなお話になりそう。先生も悪い人じゃないんだろうなあ、駄目っぽいけどな。

特に娘も無いのに西村さんのお父さんに感情移入してボロボロ泣いてしまうのは、年寄りだから仕方ない(笑)

 

それはそうと、今回日野くんにめがねっ子幼なじみカノジョが出来てしまいました。

 

吉田裕「日本軍兵士」

 

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)
 

 「アジア・太平洋戦争の現実」と副題にある。現実とはなにか?本書で記されている事柄はこの戦争の期間に日本軍兵士に起きていたことの現実、取りも直さず「死に様」についての現実的な解説だ。正直機が滅入る内容ではある。驚きは、実はそれほどでもなかった。日本軍の(あるいは日本国民の)戦争死者の総数は記録されていても「年次別死者数の推移」は岩手県を除いてどこも記録がないというのは非常に驚かされたのだけれど、それが果たして終戦直後の混乱で失われたのか、最初からそんな統計は取っていなかったのか、それすらわからないというのも、昨今の本邦の情勢を見るにつけ、驚くことではないのかも知れない。

既に対米開戦前にシステムとしては破綻に瀕していた国家が、そこから崩壊へと辿る過程に於いて、個々の兵士にどのような死が訪れたのか、餓死、病死、神経症、海没…。無残で悲惨で物語性も何もない死の溢れるところ、そういう現実。

そこで見えてくるのは、やはり当時の日本の国力の貧弱さや旧弊な国家制度が如何に個人に負担を強いたかという現実なのだけれども、昨今の情勢を見るにつけ、これもまた驚くようなことではないのかも知れない。

なお本書には巻末に参考文献リストが明示されている、まことに結構なことであります。

「ガールズ&パンツァー最終章 第2話」見て来ました

やー、濃かった。1時間に満たない作品だったのに1時間半ぐらい見てた気がした、もしかしたらそういうスタンド攻撃を受けていたのかも知れないw

以下本編内容に関する記述を含みますので未見の方はご注意ください。

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