ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

真鍋真「恐竜の魅せ方」

 

恐竜の魅せ方 展示の舞台裏を知ればもっと楽しい

恐竜の魅せ方 展示の舞台裏を知ればもっと楽しい

 

 真鍋真先生著、ではあるけれど「展示の舞台裏を知ればもっと楽しい」とサブタイトルにもあるように、真鍋先生による恐竜博2019に携わった様々な人、主に裏方のスタッフ紹介が大勢を占めるちょっと変わった恐竜本(そしてどうも聞き書きによる文字起こしらしい)。アカデミックではない切り口で、さりとて空想や漫画の類ではないというのは大変ユニークな内容ではあります。刊行は今年の7月で、恐竜博2019の事前ガイドブックみたいなスタンスでもあり、実際に行く*1前に読んでおけばよかった。

実物化石のレプリカを作成し復元骨格を組み立てるコーディネーター、復元画を描くイラストレーター、フィギュア原形を製作する造形師、広告宣伝を行う新聞社、実際の展示会場を設計し建築する美術スタジオ。本書の大部分はそれぞれの担当者の生の声を知ることが出来ます。骨格のポージングや会場の展示配置ひとつ取ってもそこには様々な意図があり、事前にこの本を読んでいたら実際の会場でもっと深く読み解くことが出来たろうになあ…。特にK/Pg境界に展示されていたティラノサウルスの全身骨格がなぜあそこに、あの向きで置かれていたのかは、大変残念ながら当日の会場では解らなかったもので。10/14までは開催されているけれど、さすがにもう一度見に行く機会は無さそうですねううむ。

後段の第五章と六章では恐竜研究の最先端とこれから、そして国立科学博物館の常設展にある恐竜化石の魅せ方、見どころについても解説されています。ボリュームこそ少ないながら、こちらもなかなか読み応えのある内容。すでに数年先を見据えて「恐竜博202X」の準備は始まっているのですね。

ほんとはこういう展示意図が図録に載せてあるといいんだけれど、やはり図録は学術的な切り口にならざるを得ないでしょうね。しかしこの本読むと読まないとじゃ観客の理解も反応も随分違うだろうから、例えばNHKで事前に放送するとか、出来ないもんですかね。あんな情感過多なCG映画じゃなくてね…

ダフネ・デュ・モーリア「人形―デュ・モーリア傑作集」

 

ずいぶん前に「鳥」を読んだ*1デュ・モーリアの短編集。「いま見てはいけない」*2も確か読んでたけれど、そのときは感想書かなかったんだよな。今巻は初期短編集ということで、巻末解説には「若書きでもデュ・モーリアデュ・モーリアだと思わされる」と賛意が寄せられているけれど、正直なところあんまり「面白くはなかった」。どっちかというと不愉快な小品の連続で、庶民が不幸になったりアッパーミドルの悪行が悪行のまま終わったりという「読後感の悪いO・ヘンリ」みたいなものばかり続いて、白状すると何度か途中で読むの止めようかと思った。

とはいえ、収録順で最後の2作「そして手紙は冷たくなった」「笠貝」は、不愉快とか読後感の悪さとかが高まり過ぎて「面白さ」にまで昇華されているような印象を受ける。なるほど「レベッカ」につながる*3*4、これはひとつの階梯なのですね…

しかし収録作品の大部分は異様に後味が悪いので、あまりひとには進めたくない一冊ではあり、あんま精神が疲弊してるときに読むようなもんじゃないよなと自分でも思うw

池澤春菜「台湾市場あちこち散歩」

台湾市場あちこち散歩

台湾市場あちこち散歩

 

 池澤春菜はガチ。

 

例によってお料理の資料でもなんでもない本をこのカテゴリーに入れてるのは、どうせ生きてるうちに台湾に行くことなど叶わないのでせめて掲載されてるウマソーなものを我流で再現できないだろうかという望みのためであります。魯肉飯はそこそこイケるものが作れました。

 

さて一冊目二冊目に続く今回第三弾は、テーマを台北の市場・夜市に絞っておススメどころを取り上げています。よりいっそう実践的というか、台北近辺を観光される方にはたいへん役立つガイドブックかと。既刊2冊が台湾全土からピックアップだったことと比較して、ピンポイントな分だけ無駄が少ないというか有効活用されるページ分量が多そうなんだよな。

そして例によってウマソーなものの連発です。春菜嬢のお顔よりデカい鳥の唐揚げとか魯肉飯のうえに牡蠣を敷き詰めたものとか悪魔の考えた天国みたいな食べ物がバシバシ。バシバシ出てくるの。現地で実食できたらさぞや美味かろうと思いますが、現地に行かれるわけが無いのだと思えばこれはもう実質異世界ファンタジーみたいなものである。異世界は美味そうだな。

スペアリブと大根を澄んだお出汁で煮込んだものが実にウマソーでこれはすぐにも真似したい。しかし大根が甘いんだとかでその辺は我流で収める。収めるのだ。

巻末には台北市内の二階建て観光バスの路線図や宿泊したホテルの紹介などもあり、タイアップ感は前回と同じですね。ホントはレシピも乗せてほしいけれど、だからこれはお料理の資料ではないと何度…

ブッツァーティ「神を見た犬」

 

神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)

神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)

 

 以前岩波文庫版を読んだ*1もので、表題作ほか何篇かは重複している。岩波文庫版には無かった「戦艦《死》」を目当てで手に取ってみて、それ自体は如何にもタナトス溢れる小品だったけど、割と雑というか「書きたいことだけただ書いた」みたいなつくりだったので微妙ではある。架空戦艦のスペックは割と細かく設定しても、第二次大戦末期にどうやって大西洋まで出撃できたのかは一切触れないところとか(笑)また岩波文庫の方にあった「聖人たち」ほか「聖人もの」とでも言うべき作品がいくつかあって、聖人も落ち着いて聖人のままでは居られなかったりするわけでそこは興味深い。

真に驚かされたのは解説である。あまりに驚いたので直接引用する。

 

恋愛における挫折感に、さらに日々深刻となる戦況*2が相まって、虚脱感に襲われる。

そんな折、彼が没頭したのは『シチリアを征服したクマ王国の物語』の執筆だった。

 

えっ

シチリアを征服したクマ王国の物語」って

 

こ れ じ ゃ な い か ! 

 

いやびっくりした。岩波文庫版読んだ時には気づかなかった。あんなフワフワでモコモコしたお話と、矢鱈目鱈にタナトス一直線な物語を同じ人間が書いていただなんて…

 

なんていうか「業」ですかね?ううううむ。

古処誠二「生き残り」

生き残り

生き残り

 

古処誠二も最近はすっかりビルマものばかりになってしまったような印象がありますが、*1今回もやはりビルマもの、インパール作戦失敗後の撤退行における軍隊と兵士、組織集団と個々人の在り様を描くものです。イラワジ河の渡河点で丸江一等兵と戸湊伍長の二人が出会った「森川」なるひとりの兵隊の不信と謎の解明を、丸江の視点で描く「現在」と森川上等兵の「回想」を交互に繰り返して叙述するミステリ仕立てのスタイル。この視点交錯を利用してあるひとつのトリックが用いられているのが本書の要点なのだけれど、感のいい人は読んでいて途中で気が付くと思う(少なくとも自分は気が付いた)。それはまあ、良いのですが、なぜ森川上等兵がそのような行為に至ったかという動機が弱いというかお話のためのお話だなというのが正直なところです。むしろ戸湊伍長が何故執拗に森川を問い詰めるのか、という丸江視点での謎解きの方が主題としては面白かった。

どちらのパートも「三人称」の視点の取り方ひとつで謎の提示と解明を行っていて、記述そのものは実に面白かったですね。そういう読み方もどうかなとは思いますが。

*1:個人の印象です

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -」を見てきました

公式サイトはこちらTVシリーズはまったく未見で、京都アニメーションの放火事件が無ければ見に行かなかったかも知れない。そういう動機というかきっかけで見るのはどうなんだと思うところもあったのだけれど、見に行って良かった。とても綺麗で、とても美しい、良質の長編アニメーション映画でした。

設定関係も特に事前に調べなかったし、プログラムは買って来たけどまだページを開いていない。以下印象と記憶だけで書いていきます。

「ドール」ってなに? とか「戦争」ってどんなんだったの? とかなんでヴァイオレットの義手だけは文明レベルを逸脱して高性能なの?などと判らないことはいくつもあったけどお話はちゃんと解って楽しめた。実際古典的というか「王道」ではある。意に添わず寄宿舎に閉じ込められた娘がいる。そこにやって来た「教師」との間にやがて奇妙な友情が生まれ、別れに際して真実が語られる。手紙が書かれる。数年後、血のつながらない妹は孤児院を抜け出して郵便配達会社を訪れ、そして――

郵便配達もの、というのは決して数多くはないけれど昔から確たる地位を占めるジャンルではありますね。「テガミバチ」や「シゴフミ」はアニメにもなったし、ライトノベル「ポストガール」は、むかしからお気に入りの作品だ。「ポストマン」というのもあったなーうんうん。手紙というのもいろいろで、いろいろな手紙が行き来する中に様々な人間模様を描き出す、そういうシチュエーションの作品群です。

さて本作では「手紙とは幸福を運ぶものである」というテーゼがかなり強めに主張されます。果たしてそれはどうなのかなと思わなくもないのがスレた観客の意見ではありますが、それはあくまでキャラクターの台詞として語られるものであって、果たしてこの世界がそこまで綺麗な場所なのかどうかは、また別のレイヤーに属することなのでしょう。とはいえ、そのテーゼを裏付けるが如くに、この作品の中で手紙を(郵便物を)受け取る相手は皆幸福であるように見える。

寄宿舎や孤児院、あるいは政略結婚という場に在ってはいくらでも暗い話や辛いエピソードを挿入できそうなものだけれど、一切それをやらなかったのには正直少々驚かされました。スクールカーストトップの貴族の子女は純粋に友情と交流を求めていただけだし、生き別れになった妹は実に健全で真っ当な孤児院で保護されている。結婚した相手の貴族は一切画面に出てこない。綺麗なことだけが、美しく描かれている。

そういうお話で、むしろ良かった。有難かった。なかなかね、出来る事でも無いだろうなとは思うのだけれどあーでも京アニの作品にはなんだかそういうイメージ強いかな。

 

幻想的ではあります。

 

眼鏡。

 

うむ。

 

…だんだん何を書いてるのだかわからなくなってきたぞ(笑)

 

光と影、屋内と戸外、人の心情や物語の機微に合わせて天候が変わっていくような演出はむしろお手本のように明確に提示され、そういうことの勉強にも向いているかも知れません。もしもこの作品を見てアニメーション業界を志すような方が居たら、それはきっと綺麗で、良い事なのでしょう。エンドロールを見ながらそんなことを考えました。

 

しかしまーわからんことはいくつかあるもので、いちばんわからないのはヴァイオレットのキャラクターだ。来年には新作映画が予定されているので、それまでには勉強しておかなければいけませんね。

 

ところで「師匠」のあの郵便配達青年は、なんで彼一人だけやたらと煽情的な服装だったのだ?それもまた謎である。まさか脚だけ女の子だったりするんだろうかそんな馬鹿なw

 

エイミーとテイラーのふたりがふたりとも、偽らざる心情を手紙として表出するのは「夜」である。その辺も濃厚だよなと思う訳です。

 

なにがってほら、

 

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非常に濃い目の百合でした。おまけにひとつはまだタマゴなんである。これぞ天啓というものであろうかいやあるまい。

 

ああ、ひとは強くありたい。決して角煮丼に混ざることのない味噌汁程度の存在であったとしてもだ。

ネヴィル・シュート「渚にて」

 

渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)

渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)

 

エンタングル:ガール」*1でタイトルがあったので手に取ってみた。「渚にて」が大好きな女子高生ってどうなんだろうとか思ったけれど、こういうのは10代の頃に結構ハマるもので、自分も10代の頃に一度読んでる(笑)

今回読んだのは2009年刊行の新訳版。なので実質は初読…と言えるだろうか。グレゴリー・ペック主演の映画も有名で、そっちもずいぶん前に見ている*2

街から人々が姿を消すラストシーンや水兵の一人が潜水艦スコーピオン号から勝手に飛び出して釣りを始めるとか、そういう細かなところは印象に残っている(映画の方で記憶に残ってる)けれど、まー全体の内容はずいぶん忘れてましたねーうううむ。ストーリーの中でもっとも大きな位置を占める(と思っていた)謎の電文発信者の正体が解明されるのは中盤で、その後も結構なボリュームで「日常」が淡々と描かれていくのだな。このあたり原作と映画ではウェイトの置き方が変わってるだろうと思うけれど。

核戦争の恐怖というか「核戦争後の恐怖」を、だんだんと迫りくる破滅という形で描いて、ボタン一発でイキナリ世界が吹き飛んだりしない筆致は、やはり優しいものなのかも知れません。パニックや暴動に流されることなく、社会秩序と個々人のモラルが維持されたまま粛々と死に向かって行く様は理想というか幻想的ですらある。

これキューバ危機よりも前に書かれた作品なんですね。原著刊行は1957年というから朝鮮戦争直後の時代か。放射能が北半球からだんだん下がってくる、というのはもしかしたら科学的には正しくないのかもしれないけれど、そこのところはよくわからんのでスルーする。

核戦争とは関係なく、誰だっていつかは自分自身の死に相対峙するものなんだけれど、その時自分は落ち着いていられるのだろうか?そういうことを考えさせられる作品でもあります。

機会があれば映画も見直したいけれど、果たしてそんな機会はあるのかな。

*1:http://abogard.hatenadiary.jp/archive/2019/09/01

*2:2000年にリメイクTVシリーズというのが出来ててビデオもあるそうだけど、さすがにそっちは未見