ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

今年の一番について考える。

毎年恒例のやつです。近年の自分は「いずれ出来なくなるのだからやりたいことはやれるうちにやっておけ」精神で動いているのですが、「いずれ出来なくなる」というのは、これまでは自分に内在する要因と捉えていました。でも、そうではない。それだけではないのですね。つくづくそれを知らしめられた年でした。どうかみなさん、やりたいことややれることは、それが出来るうちにやっておきましょう。出来なくなってからでは、もう出来ないことなのですから。

 

・本

今年読んだ本の中での一番はSFでもファンタジーでもなくというかそもそも小説ではなく、「特別展 恐竜図鑑」の図録です。いやマジでマジで。展覧会自体がとてもよかったというだけでなく、最新の知見を反映する最先端の専門書ではむしろ取り上げられないような、過去の恐竜のイメージを広く掲載し更に現代に至るまでの「恐竜像の変遷」を大変豪華な装丁にまとめている極めて、極めてユニークな一冊でした。展覧会開催時期には古い復元像に話題が集まって「これが正解だ」と言われる向きも多かったように思いますが、それは違うのです。この展覧会はただ古いものだけでなく、現代最先端の恐竜像までの「流れ」を見せるものでした。正解とはこの流れのことであり敢えて言うなら真の解はまだまだ遥かな先に在り、我々は階段の途中に居るだけの存在なのです。10年20年、いや50年100年先にまたこのような恐竜像の変遷をテーマにした展覧会が催されれば、その時はいまの我々には想像も付かないような恐竜の姿が並ぶことでしょう。恐竜万歳、人類に栄光あれ。

そういうことを初めて考えたのは、科博でやってた「イグアノドン展」見た時なんだよね。あれは1985年開催か。図録でイグアノドン像の変遷を解説していて、水晶宮の復元模型の写真がインパクトあってねー。

小説で言うと佐藤亜紀「喜べ、幸いなる魂よ」がよかったな。これ今年の頭の最初に読んだ本なんだけど、とにもかくにもその文体が実に素晴らしかったです。

 

・プラモデル

毎年タミヤの製品をすごいすごい言うだけならBotでいいんだろうけど、タミヤの「もがみ」ホントすげえよ。あの組み具合は実際に作ってみないと味わえない、模型雑誌の綺麗な作例写真ではひとつも伝わらない。「プラモデルは組み立てている時間が一番楽しいのだ」ということを全力で示している製品です。あと、タミヤのIV号戦車70(A)でトーマシールドが何の苦も無く組み上がるのにはマジでビビった。エッチングとプラを簡単に接着して確実に組める。成功体験の積み重ねって大事ですね。

来年はファインモールドの「三九式輜重車 甲」と「九七式沸水車」に非常に期待しています。ファインモールドと言えば「アジトのポルコ」は良かったですね。あれは「一般層」にひろく訴求する製品だと思います。

 

・映画

ガルパン!と言いたいところだけれど(実際5回も見たけど)、やっぱゲ謎だよなあ。「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」で、まさかゲゲゲの鬼太郎で日本戦後史を振り変えさせられるとは思わなかった。国民的アニメ・マンガキャラクターも様々だけど、サザエさんドラえもんにはあんなことはできない。サザエさんドラえもんも時代に合わせて作風や描写は変わっているんだけれど、キャラクター自身が作品中でそのことに対して自覚的には振舞えない。鬼太郎は多分それができる。あいつ池田勇人首相をテレビで見てるんだぜ?

やーでもガルパンもね、良かったですよ。残りあと2話、無事に鑑賞したいですね。グリッドマンユニバースもシン・仮面ライダーも、今年は映画の当たり年でした。

 

・アニメ

テレビアニメも良作揃いだったのに、恐ろしいほど印象が薄い。「水星の魔女」すら記憶が薄れていくのを感じる。「SPY×FAMILY」は安定して良かったし「葬送のフリーレン」は来期も期待できそう。でもそれも、終わって半年もすればどんどん次の作品に上書きされて行きそうです。そんな中で「Lv1魔王とワンルーム勇者」はなんか楽しかったなあ。勇者ってもうパロディや変化球でしか描けないんでしょうね。いまさら最初のドラクエみたいな話もないもんな。

 

・マンガ

マンガはいま継続して単行本買ってる2作が、そろそろどちらもクライマックスぽいのよね。逆に言うとその2本以外で購入したマンガって

無い(´・ω・`)

 

今年は岩男潤子さんのコンサートを4年ぶりに観ることが出来てよかったですね。来年もやってくれないかなあ。過去ステージの円盤化は難しいだろうかやはり。音楽CD一枚すら出すの難しそうだものな。日本経済が悪いのは全部政治が悪い所為だな。そんなことを思う。

そして今年は夏に名古屋ー三重遠征できたのがよかったです。帰りにコロナもらってきたぽいのだけれど、とにかくホビーカフェガイアさんの実店舗を訪問することが出来てよかった。もっといろいろお話してくればよかった……

できることはやっておけ。それが今年に思うことです。

 

そしてやっぱ「スペースサメハンター」を書くことが出来てよかった。いろんなひとに読んでもらい感想をもらえたし、選考期間の間は本当にたくさんの応援を頂きました。あんなに声援を送られたの、小学校の運動会にだって無かったことです。ありがとうございました。結局受賞は無かったんだけど選考会でも多々取り上げられていて、小冊子を時々読み返してはニヤニヤしています。

 

ついさっきもニヤニヤしてました。

 

……俺氏ちょうキモいです(´・ω・`)

 

来年もSFカーニバルはやるそうだけど、さなコン4はやるのかなあ?

 

あと来年は京都でタルボサウルス見る予定。できることはやっておけ。

古橋秀之「百万光年のちょっと先」

もとは徳間の「SF Japan」誌に掲載された作品を集英社から単行本化されたもの。先日「四つのリング」を再読してやはり面白くて、まとめてよんでみようと。ちなみに「四つのリング」は単行本化の際に描き下ろしで加えられたエピソードなのね。自動家政婦が坊ちゃんに向けた寝物語に語るお話という体裁の全50編。どれも柔らかい語り口で、基本はほっこりするエンドが多くて読んでいて楽しいものです。SFというのもいろいろだけれど、古典SFの匂いがするものが多いしスペースオペラと言ってしまってもいいでしょう。ちゃんと数えた訳ではないけど1本概ね5000字前後の掌編ですが(連載時は複数作品掲載だったんだろうか?)、どれもSFならではなワンアイデアを巧みに料理していて読ませるものです。稀にときどき強力な疑似おねショタが感じられるのも良い。キャラクターもほぼすべてが固有の名前を持たない人物だけれど、それでも人好きのするキャラ造詣がなされていて面白いなあ。それになにより

百万光年のちょっと先、今よりほんの三秒むかし。

の共通書き出し(語り出し)から始まる物語群はなんだかさなコンみたいで楽しいですね。さなコンやる前に読んでたらよかったかもなあ。童話のような雰囲気で、寓話のようなSFを、小さな作品でもスケールは大きく、そして絶妙にホラ話ぽく語る。うん、いいなあこれ。どれも楽しいけれど「四次元竜と鍛冶屋の弟子」「卵を割らなきゃオムレツは」「絵と歌と、動かぬ巨人」「夢見るものを、夢見るもの」「つまり、すべてはなんなのか」なんか特にいいですねぇ……

あれね、キャンディーやらチョコレートやらいろんな種類のお菓子が袋詰めされたバラエティパック。あれのSF小説版だねこれ。

 

C・L・ムーア「暗黒神のくちづけ」

女戦士ジョエリーのジレルを主人公に据えたヒロイック・ファンタジー連作短編集。このシリーズは以前「ヘルズガルド城」を『不死鳥の剣」で、また同著者によるスペースオペラ「ノースウェスト・スミス」のシリーズにゲスト出演した「スターストーンを求めて」を『大宇宙の魔女』で読んでいる。

 

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今回全五編からなるシリーズすべて(ちなみに「ヘルズガルド城」は最終作である)を読んで思ったのは、上記2本はどちらかというと番外編的なノリで、そして

 

番外編の方が面白いの(´・ω・`)

 

というその、まあ初版刊行昭和49年っていう訳文の古さもあるんだろうけどさぁ……

 

松本零士のイラストは確かに目を和ませてくれるものではあるけれど、ときどき手抜きっぽいのもあるぞw

 

 

松田未来・※Kome「夜光雲のサリッサ 11」

前巻の感想で「1stガンダムぽくなるかも」などと書いたけれど、要塞攻略戦と言えばクライマックスだと感じるのはガンダムに刷り込まれたことかも知れないね。ヤマトやあるいは「二百三高地」まで遡れるのかもしれないけれど。

ともかく要塞攻略戦です。内外で様々な戦闘が繰り広げられますが、いつにも増して「能力合戦」みたいなところと、そして「不確かな存在が未来を作る」テーゼにグッとくるのだなあ。おそらく次巻では忍=ダンクペアが天宮に乗り込み最終決戦となるのではないかと、やはりガンダムですねえ。

ところで「アネシュカ司令」ってこれまで名前出てきたっけ?

高野史緒「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」

刊行以来評判が高かった1冊を神保町ブックフェスティバルでサイン本購入。いろいろと声は聞こえてきたので二人のキャラクターがそれぞれ属するパラレルワールドが交錯する物語だ、というお話の構成は予習していました。夏紀と登志夫、それぞれの2021年の世界が1章ごとに入れ替わっていく章立てなので、1組つまり2章ずつのセットでゆっくり読んで行ったのだけれど、最後のクライマックスはなんかもったいなくて引き延ばした(笑)

うん、面白かったです。夏紀のいる世界は明らかに現実の(我々の)ものとは違っていて、反重力技術が実用化され月や火星にまで人類が進出しているのに、情報技術は立ち遅れていて携帯電話は普及率が低く、パーソナル・コンピューターはWindows21なるOSで動かされ、おまけにソ連が存在している。対する登志夫の属する世界は我々の(現実の)世界のようだけれども量子コンピューター技術にはやや差異がある。それぞれの世界の土浦(霞ヶ浦)で、1929年に来日した飛行船グラーフ・ツェッペリン(LZ127)は墜落事故を起こしていたのか?それとも無事に着陸したのか?夏紀の世界では墜落したことになっているのに、夏紀自身はそれが墜落していない「事実」をどこかで知っていて、無事に着陸したはずの世界で登志夫はそれが「墜落した」過去の記憶を知っている。お互いの周辺で起こる謎の現象、やがて二人の意識は結び付流れ、そして――

「飛行船と言えば落ちるのが相場だ」みたいなこともあるんだけれど、本作に於いては「落ちたのか/落ちなかったのか」という未決定な過去のブレ、量子SFの題材として扱われていたのが面白かったです。結果として希望は繋がれるのですが、そのために失われるものもありで、喪失感とそれを挫折とせずに受け止め進むところが青春なんだろうなあ。そんなことを思いました。やっぱり「絵」にはなるのですよね飛行船。リアリズムではなくてシンボリックな扱いなのがいいのかな?

しかし高野史緒の文章もずいぶん丸くなったなーと思いながら読んでいたら、あとがきでいろいろ心情の変化について綴っていてちょっとしんみり。そしてこの作品、パイロット版が短編で先に出ていて、おまけに既に読んでいた…!

けどすっかり忘れてた(´・ω・`) 

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うーむたしかに触れていないなあ。読み直さないといけませんねこりゃあね。

 

そうそう、なぜか不思議なんだけどこの作品「説明」っぽいパートがあまり苦にならずに読めました、そこはちょっと解明したいものがある。

 

<追記>

パイロット版と言える短編「グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行」再読する。長編版のクライマックス、量子空間でタグ付きの風景の中を駆けていくシーンが主なんだけど、登志夫は夏紀の従兄弟でアメリカ在住、パラレルではなく同じ世界に住んでいる。流れているのは「時間」ではなくて「情報」だというテーマは、むしろこちらのほうが際立っている印象を受けるけれど、ごく普通に、まるで夢から覚めたように現実に戻ってなんとなく納得して終わり。というエンドなので長編版にあるような前向きのペシミズム(か?)は、感じられない。なるほどー。

ロバート・シルヴァーバーグ「時間線をのぼろう」

うーん、なんかダメだったなこれ(´・ω・`) 読んだ、という記録だけ残しておく。