ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

「ペンギン・ハイウェイ」見て来ました

公式。

 

以下ネタバレにつき隠します

 くぎゅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!

 

失礼しました。釘宮病を発症してしまいました。釘宮理恵さん演じる所のウチダ君があんまりショタぃ眼鏡っ子だったもので可愛いなあ可愛いなあ。ああ、あんな可愛い子が女子なわけがないだろ!!!!!

 

まあでも、みんな可愛かったな。アオヤマ君もハマモトさんもスズキ君も、それからお姉さんとペンギンもだ。「四畳半神話大系」や「夜は短し歩けよ乙女」のような大胆なアレンジは取り入れず、原作の展開に比較的忠実な作風なので、森見作品を映像で初めて見るにはいいかも知れませんね(「有頂天家族」のアニメ版は未見なのでそっちについてはわかりませんが)。

原作を読んだのが結構前だったので(森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ」 - ひとやすみ読書日記(第二版))、映画化に合わせてカバーが変更された文庫版を再読してから見たのだけれど(ところでいまは角川つばさ文庫にもなってるのね。そっちで読んでもよかったかもね)、おかげで原作の展開との比較が容易かったのはまあよかった。原作読んでから映画を見たほうがいいかも知れない…かな?「四畳半神話大系」なんかは原作読まずに見たほうが面白いだろうけれど、ともあれこの「ペンギン・ハイウェイ」の映像化で、スタッフがどこにウェイトを置いてどこを削っていったのか、そういうところがよく判ったのは面白い視聴体験ではあり。原作ではスズキ君に奪われてしまう「プロジェクト・アマゾン」の地図がアニメではビリビリに破かれて、おまけに更なる破損行為を加えられてしまうのだけれど、その違いは後々の展開に影響して原作よりもウチダ君の株が上がる。いっぽうスズキ君に関してはこれ以外にも下げ気味で、原作でスズキ君の認識が一転するアレはばっさりカットされてますねえ。

 

まあ、可愛いから良いです( ˘ω˘ )

 

お姉さんも非常によろしい。映像化するとよくわかるんだけどこのお話はメタファーだらけで、お姉さんの手づからでアオヤマ君が痛みを伴い血を流して大人の階段を一歩上ってしまうところなどメタファーどころか直球で剛速球という感じですよ。

 

歯を抜いてもらうのですが( ˘ω˘ )

 

大人もね、みんないい人しか出てこない。「子供向けの話なら大人を敵対する相手にしよう」みたいな安直な敵愾心で作劇されないというのは、もしかしたら近年の流行りなのかも知れない(そしてそれは、良いことだけではないかも知れない)けれど、子供の周りにいる大人が皆良い人であるというのは、見ていて気持ちが良い。「世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこんでいる」原作にもあったアオヤマ君のお父さんのこの台詞が、映像では大変わかりやすく、視覚に訴える行為と共に発せられていて、これは非常に納得しました。

 

タイトル通りペンギンはこのお話のメインテーマなんだけれど、それと同じくらい重要な「海」が、やや扱いが軽いように感じたのは仕方が無いかなあ。スズキ君の扱いが軽いのは、たぶんこのせいなんだろうな。そして考えてみればペンギンすなわち鳥は恐竜なのであって、この映画は夏休みの恐竜映画なのだと強弁出来ないことも無くはない。

 

結局お話の最後でお姉さんがどうなってしまうのかは、実はよくわからない。話の隅々まで「納得」を求める人には、もしかしたら向かないかもしれません。まあでも考えてごらんなさい。いつだって年上の異性という存在は、謎めくものなのですから。しかしこれゼーガになりませんかね?あの街はサーバーで、お姉さんはセレブラントかAIでって無理かなあ…

 

 (幻体の暮らす街にそうとは知らずダウンロードされたサーバー修復AIが「あなたは人間ではない」と知らされて消えて行くお話というのはどうでしょうかだめでしょうか、アオヤマ君のお父さん(ペンギン・ハイウェイ本編で唯一街の外に出られる人物)はセレブラントってことで大丈夫だイケるぞこれ)

 

余談。

だいたいこういう話に接すると自分の体験がリフレインされるものである。自分も小学生の頃は畑の中の用水路を伝って未知の土地へと赴いたものです。夏休みの最後の日に、道の角に来るたびに棒を倒して倒れた方向に進んで行ったらどんどん知らないところに行っちゃって、気が付いたら右も左も「お墓」ばかりで…

要するに近所の寺町に迷い込んだだけなんだけど、その時はずいぶん怖い思いもしたものでな(笑)