いやーよかった。実によかった。ゴジラ、エヴァ、ウルトラマンと良作続きだったのでハードル高めな気持ちでいたんだけれど、まったく期待を裏切られることなくそれ以上に楽しみ、興奮し、高揚してきました。
以下ネタバレね
ウルトラマンがゴジラではないように、仮面ライダーはウルトラマンではない。だから、シン・ウルトラマンがシン・ゴジラではなくウルトラマンの映画だったように、シン・仮面ライダーはシン・ウルトラマンではなくて仮面ライダーの映画だった。竹野内豊が最初に出て来た時は「またお前か」と思ったけれど竹野内豊が最後に名乗った時は「お前だったのか」と思ったものですハイ。まあほら、オリジナルはジャングラーとか作っちゃうおじさんだったから、シン・立花が新しいサイクロン号作っちゃっても別におかしなことではないのだ。
で、仮面ライダーです。いい感じに人間臭くていい感じに低予算で、いい感じに前衛舞台劇みたいだった「仮面ライダー」初期のノリを色濃く反映したような、いい感じに人間臭いキャラといい感じに低予算ぽい映像と(実際シンゴジやシンウルに比べて低予算らしい)、いい感じにアングラ劇団みたいなノリでこれぞまさしく仮面ライダーだ!!!と叫びだしたくなるような映画でした。あー俺厄介なオタクみたいなこと言ってますね厄介なオタクだから仕方ないですね。
事前に劇場で配られていたフライヤーに記されていた英文キャッチコピーが意味深で、全文はこのようなもの
Kamen Rider Takeshi Hongo is an augmented human being.He was upgraded by SHOCKER, an all-loving secret society that pursues happiness for humanity.Kamen Rider has pledged to fight against SHOCKER to ensure human beings stay human.
これを自分の拙い英語力で翻訳してみると次のようになります。
仮面ライダー本郷猛は拡張された人間である。彼は人類の幸福を希求する友愛秘密組織ショッカーによってアップグレードされた。仮面ライダーは人間が人間のままであることを確認するためにショッカーと戦うことを誓う。
そしてオリジナルのナレーションはこうでしたよね
仮面ライダー=本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは、世界制覇を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のために、ショッカーと戦うのだ。
「幸福」「人間」「人類」「自由」とキーワードはいろいろあります。「人の幸福とは何ぞや」というのをすごく個人的な、歪んだものとして具現化するのが今作のショッカーなのでありますが、それと戦う「拡張された人間」であるところの仮面ライダーは多分、自由でも幸福でもなくただただ人間が人間であるために、人間らしく自由だったり不自由だったり、人間らしく幸福だったり不幸だったりする。そういうことのために戦うのだろうなあとかそんなことを思いました。ずっと寂しそうでいる本郷よりも、もっと捌けた立ち位置に占位する一文字の方がヒーローキャラらしく見えるのは、やはりオリジナルの藤岡ライダーから佐々木ライダーへのバトンタッチと、ちょっと似通って見える。緑川ルリ子に大きなスポットを当てつつ途中退場する流れはやはりオリジナルを踏襲しているようで、そして本郷が死んだあと一文字が使命を受け継ぐ(そして本郷と一体化する)というのは原作というか石森章太郎コミック版の流れで、ショッカーより日本政府の方がヤバいだろうというのも、それもコミック版の流れではある。
石森あるいは石ノ森章太郎はヒーローマンガで決してストレートなハッピーエンドを描かなかったような気がするけれど、それは何故なんだろうなあ。
ともあれ、仮面ライダー以外にも石森ヒーローもの要素満載でロボット刑事とかイナズマンとかキカイダーとかそれっぽいのがゴロゴロ出てくる。むしろワンセブンが出てこないのが不思議なレベルでそういうところも良かったなあ。
映画を見る前に、自分の中での「仮面ライダー像」ってどんなものかなとちょっと考えたのね。そこで出てきたのはスカイライダーの初期ED「はるかなる愛にかけて」だったのよ。あの歌で歌われている姿こそが、自分の思う仮面ライダーで、且つそれは過去形なんだよなと…
だからやっぱり「仮面ライダーとは代々襲名されるものである」という姿を見せてくれたのはよかったんだな。うむ。
派手なモードチェンジもしない、格好良い武器も持たない、突然ベルトが歌いだしたり喋ったりもしない。ただ己の拳と脚を振るって戦う仮面を被った醜い人間。改造人間とはすなわち化け物であり、その本質は不可逆変性され普通の人間には決して戻れない日陰の存在である。そういう孤高の個人が市井の人々のために代闘士となって悪の組織に立ち向かう。仮面ライダーってそういうものだ。だから今作でチョウオーグと対峙する仮面ライダーが非常に泥臭くドタバタした殺陣をやるのは本当に良かった。ゴジラでもウルトラマンでもない、何ひとつ超越せず少しも超然としないただの人間の有り様がほの見えて実際感動した。しかしナディアのネロ皇帝までセルフオマージュしなくてもいいんじゃね?とは思ったけどさ(´・ω・`)
あとあれですよ、シン・仮面ライダーはバイクに乗ってるんですよ!これすごくライダーっぽいですよ画期的ですよ!!
結論:最近のニチアサのライダーは、やっぱおれダメっぽいです(´・ω・`)
<2回目>
イオンシネマのポイントたまって1本無料で見られるので、直ちに2回目見てきました。見に行く前に初回の印象を反芻して、シン・ゴジラではTVのニュース(特に首相官邸前のデモ)、シン・ウルトラマンでは動画投稿SNSを使って見せていた「社会」を、今回のシン・仮面ライダーは全く描写しなかったのはなんでだろうという旨ツイッターで呟いたら「ショッカーが社会なのです」というサジェストをもらって実に納得する。今回社会を、特に社会を俯瞰していたのは人工知能たるKであって、人間社会から超然としているからこそ、ショッカーの上級構成員たちが次々に倒されてもなにひとつ行動はせずただ見守るだけで、Kといってもマザー的な立場なのでしょうね。つくづく石森諸作品の要素がばら撒かれた作りではある。それで、2回目はそういうことを気にしながら見よう…と思っていたらそんなことは全然できずにただ仮面ライダーのスーツに線が1本あったり2本あったりするだけで感極まって泣きそうになっていた。
オリジナルの「仮面ライダー」でスーツに白線が入ったのは一文字隼人の仮面ライダー2号が登場した時なんだけれど、これはそれまでの本郷ライダーとの区別をつける為でした。でも今回はそこに「一文字隼人は一本筋を通す男だ」という文脈が乗せられている。そして復活した新1号ライダーに2本線が走っているのはこれまた2号ライダーとの区別をつけるためなんだけど、今回はそこに「二人で一人の仮面ライダーだ」という文脈が付与されている。そういう設定上のアップグレードを感じでもう泣きそうです。
そんなことで泣けるんだからオタクってチョロイ生き物ですね(´・ω・`)