ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

カート・ヴォネガット「カート・ヴォネガット全短篇 1 バターより銃」

 

 本国でも昨年編纂されたばかりの全短篇集成本。ヴォネガットの書いたもの(邦訳されたもの)はあらかた読んできたと思うし最近でも河出の短編集を読んだばかりなのに、どうも忘れているものが多いのは困る。「略奪者」に至っては感想を書き残しているのにだ。(いや「よかった」って書いてるだけなんだけどねhttp://abogard.hatenadiary.jp/entry/20081003/1223044212 )本邦初訳もいくつかあって今回は「暴虐の物語」がそうです。元本は一冊の大著で日本ではそれを5分冊で出すというのはいかにも早川書房らしいけれど、さすがに一冊で出すと読むのも買うのも大変だからこれはいいと思います。しかし全体で8つあるセクションを5分割したために「セクション2 女」に分類される作品が2つしか入って無いぞ…

というわけで今冊の8割方は「セクション1 戦争」の作品なんだけれど、やっぱり捕虜の話、ドレスデンでの体験を扱ったものが多いです。このテーマをずっと書き続けて「スローターハウス5」に昇華させたんだなあというのはとてもよくわかる。

編者も訳者も繰り返し述べていることだけれど、やっぱりモラルの人なんでしょうね。どんだけ社会が壊れても、創作の場でモラルを、少なくとも自分が正しいと信じていることを、書き続けた人ではある。

 

川村拓「事情を知らない転校生がグイグイくる。」①

 

 

あー

 

甘酸っぺぇ

 

(/ω\) ←読んでて自分がこんな顔になる.

 

 

沸点の低すぎる西村さんとクールの度合いが高すぎる高田くんは可愛いのだが、日野くんは日野くんで実にいいヤツだなぁ…

乾緑郎「機巧のイヴ:新世界覚醒編」

 

機巧のイヴ: 新世界覚醒篇 (新潮文庫)

機巧のイヴ: 新世界覚醒篇 (新潮文庫)

 

 「機巧のイヴ」(http://abogard.hatenadiary.jp/entry/20150801/p1)の続編。舞台はパラレル日本のパラレル江戸時代より約100年語の世界、パラレルアメリカのパラレル万国博覧会。連作短編集だった前作と意外、今回は長編です。

 

ということで前作の登場人物はみな死んじゃってます(※ただし人間に限る)。おおまかな歴史の流れは現実に世界とほぼ似通っていて、パラレル明治維新の後の19世紀和洋折衷スチームパンクといったところですか(カバーイラスト素敵♪)。人間は出なくとも機巧人形(オートマタ)の「伊武」をはじめ人間じゃないキャラクターは引き続き登場します。相変わらず鯨さんは腰掛けにされたり物置かれたり、なんなら100年近く伊武の尻が乗っていたりで大変且つまったくうらやましい事であります!!

今回新たに登場する人間のキャラクター達が揃いも揃って残念な連中ばかりで(強いて言えばバリツ使いの少年八十吉がマトモといえばマトモではある)、なかでもとりわけ残念なのはフェル電器産業の経営者にして天才発明家であるところのマルグリット・フェル女史で、これが天才で美人でハイソサエティーで服装に無頓着で度の強いメガネが無いと人間と帽子掛けの区別もつかない残念ぶりである。

 

最高かよ。

 

フェル電器とテクノロジック社という二大企業が電機産業の主流を直流と交流で争う史実のアメリカ同様の設定で、直流側に立つフェルはいわばエジソンの女体化みたいなキャラなのだけれど、キャラクターの性格としてはエジソンというよりはテスラ的な変人に描かれるところは面白かった。エジソンも変人っちゃ変人なんでしょうけれど。

とはいえ、人の無力さみたいなものは随所に溢れていて、視点人物となる私立探偵の(探偵くずれの)日向丈一郎はずっと残念なまま終わってしまうし、結局殺人鬼のひとはあーいや、うんネタバレはあれだねいけないね。

このお話の、そして前作のアピールポイントは巻末の解説で適切にまとめられているので、そこを読めばおっけいです。書いてるのは池澤春菜嬢です。

 

うむ。

 

あ、あと観覧車先輩が観覧車先輩でした。

令丈ヒロ子/原作・文 吉田玲子/脚本「若おかみは小学生!映画ノベライズ」

若おかみは小学生!  映画ノベライズ (講談社青い鳥文庫)

若おかみは小学生! 映画ノベライズ (講談社青い鳥文庫)

 

 

いや久しぶりに児童書読んだぞ。児童書ってこういうものだったなぁ。小説原作の映画化作品を、現作者自らの手によるノベライズということで、元から原作を読んできた人たちにも違和感なく受け入れられるのでしょう。むかし子供だった人のために講談社文庫版というのもあるのね。

小説 若おかみは小学生! 劇場版 (講談社文庫)

 

ストーリーはもちろん映画のままなのだけれど、おっこ視点の一人称で描かれることによって場面ごとのおっこの行為行動にはどういう心情が込められていたのか、情感が深まります。その上で「語り」という行為には一歩引いて自分を眺めるような距離感も加わっていて、映画のカメラワークや躍動感ともひと味違った物語空間が構成される。映画を見てこの本を読んだ小さな読者様方が、小説という媒体、読書という行為に、映画を見る事とはまた違った楽しさを見つけてくれたらいいでしょうね。

そして児童小説に(というか少女小説に、なんだろうな)一般的な一人称視点を採ることによって、このノベライズではおっこが目にしなかった物事のいくつかが記述されない。そのことの妙もまた、映画とは違う味になっています。映画の中でいちばん好きな場面は、ピンふりこと真月ちゃんが秋好旅館を訪れたおっこを遠くから観察して、慌てて図書室に駆けこんでいくのだけれどおっこが入室したときにはそんなことをおくびにも出さない落ち着きぶり。という一連のシークエンスなんだけど、ノベライズではばっさりカットされているので真月ちゃんすっごく大人びた小学生です(笑)

映画の宣伝となるリーフレットも挿し込まれていて、こういうものがある本を久しぶりに買った気がする(笑)本書は映画公開前の発売だったので内容の中核には触れずに、「映画にしか出てこないお客様も!」などと惹句が飛んでいて、あーなるほど木瀬一家は映画オリジナルキャラなんだなーと初めて気が付きました。考えてみると全20巻プラスアルファの大作を、極めて初期のエピソードだけを使って2時間弱のストーリーにまとめるのだからかなり大胆なアレンジをしていたんですね。神楽も原作には無いそうだしなあ。

で、ちょこっとwikiを調べてみたら原作ではウリ坊も美陽ちゃんも居なくなったりしないのね。よかったよかった。

 

そしておっこに彼氏がいるのか

 

えっ

えぅ

ええ、そりゃあいるでしょうよ普通はほら、20巻もお話が続けば、ねぇ?

 

えっ

「若おかみは小学生!」見て来ました。

公式。

 

原作は前々から気になっていました。でもおじさんが読むものでもないだろうなと手を出しませんでした。

結構巻数が多くて人気あるんだなーと思っていました。でもおじさんが読むものでもないだろうなと手を出しませんでした。

TVアニメ化されてほうすごいねえと感心しました。でもおじさんが見るものでもないだろうなと手を出しませんでした。

映画化されて

おいオッサンしかみてねーじゃねーかおい。

 

というツイッター真実に打ちのめされてあわてて見に行きました。

 

( ;∀;) イイハナシダナー

 

いや、別に観客はおっさんばっかでなくカポーや家族連れも沢山いてたいへん賑やかでありました…

 

うーん、まあなんだろう、「グランドホテルもの」というジャンルというか枠組みだよな。旅館(ホテル)で幽霊と言えば「シャイニング」だが「きれいなシャイニング」かといえばそんなことは全然なくてだな。存外、お子さんは泣かないかもしれない。ああいうお話を見て滂沱するのは疲れた大人のような気がする。誰だってグローリー・水領様のようになりたい。俺だってなりたい。しかし現実には子供から見てあんな格好いい大人、子供の悩みに正面から向き合える大人、子供の成長を優しく後押しできる大人になんて、成れる人間の方が少ないからさ…

専門の声優だけでなく一般俳優も多いキャスト陣にあまり違和感がなかったのは、特に大人の(グローリー様以外の)キャラクターがフラットな演技をしていたからだろうか?対して子供の(おっこと同じ年頃の)キャラクターは如何にもアニメな演技、キャラクター性を演出していて、特にピンふりこと秋野真月を水樹奈々様が演じていたのはかなり強力だった。とはいえ「水樹奈々っぽく」は無かったんだよな。お婆ちゃんの幼少期は花澤香菜さんが演っていたけど(考えてみれば贅沢な使いどころだ)、それもあまり「花澤香菜っぽく」は無かった。

その上で最後に春の屋を訪れる木瀬様ご一行の、山寺宏一がものすごく「山寺宏一っぽい」美味い味わいの演技をしていて流石の技前でした。見ている観客をちょっとイラっとさせて、でも決して悪い人物ではなくて、むしろすべての登場人物の中でもっとも重い、大きな傷を背負っていて、と……

 

まあ泣きますわなそら泣きますよいろいろな。ネットでは作画の美麗さやストーリーのテーマに主軸を置いた感想をよく見たので、ここではキャスト陣の演技中心に振ってみた。小桜エツ子強い。

 

それで結局、1万2千年ぶりに児童小説を買ってしまった。映画見てノベライズを買うというのも14万8千光年ぶりだ…(光年は距離の単位だ、バカめ)

 

 

若おかみは小学生!  映画ノベライズ (講談社青い鳥文庫)

若おかみは小学生! 映画ノベライズ (講談社青い鳥文庫)

 

 

 

ぬまがさワタリ「絶滅どうぶつ図鑑」

 

絶滅どうぶつ図鑑 拝啓 人類さま ぼくたちぜつめつしました

絶滅どうぶつ図鑑 拝啓 人類さま ぼくたちぜつめつしました

 

 ツイッターで話題のイラストレーターぬまがささんによる、ちょっとユルめの動物図鑑。これまでいくつか出ていたけれど、今回は新生代第三期・第四期に生息していた古生物中心の内容だったので手に取ってみた。

「ウワーッ!」の名台詞に代表されるようにユーモラス且つブラックなテイストも含むスタイルで、全77種の生物が解説される。個人的にはガストルニスとフォルスラコスの恐鳥類2種が掲載されていてうれしい。古生物の黒い本にもあった(http://abogard.hatenadiary.jp/entry/2017/01/29/124733)ように、この時期の絶滅要因のひとつ、大きなひとつは「人類との接触」で、それは現生の絶滅動物や危惧種にも大きな影を落としている。そういうことをソフトに考えさせるためには、骨格標本ばかりではなく本書のようなコミカル化、キャラクター化という手法は有力なのでしょうね。ディフォルメを行ったうえでなお本質は外さずに魅力を伝える。ぬまがささんがやってることは戦車の世界でモリナガ・ヨウ先生がやっていることとたぶん、よく似ている。

10月21日までは吉祥寺のPARCOで個展も開催されているのでご興味のある方はぜひ。肉筆画もあります。絶滅どうぶつケーキというのもあってちょっとしたJ.G.バラード気分だ(http://abogard.hatenadiary.jp/entry/20091012/1255356490

アーサー・C・クラーク「海底牧場」

海底牧場 (ハヤカワ文庫SF)

海底牧場 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

クラークあんまり読んでないなーと思って手に取る…が、実は昔読んでいる。岩崎書店ジュブナイル版「海底パトロール」を小学生の頃にねー。そのときは話の途中で主人公が突然事故死してしまって、それまで脇だと思っていたキャラが主役に繰り上がるような展開に随分驚いたのだけれど、オリジナルを読んでみたらドン・バーリーは第1章の視点人物なだけで別に主役でもなんでもなく、その死に至っては「帰ってきたら結婚するんだ→死」という、おそろしく雑な死亡フラグ立てに笑わされてしまう。「海底パトロール」を訳したのは福島正実だそうだけれど、かなり翻案してたんだろうなあ。

本筋は元宇宙飛行士で宇宙船の事故によるトラウマを抱えて世界連邦食糧庁の牧鯨局に転職したウォルター・フランクリンが、トラウマを克服し正規の監視員となり、経歴を重ねてやがて官僚機構に従事しある大きな決断をする…というようなもの。原題「THE DEEP RANGE」よりも邦題の方がずっと直接的で、要するに海で鯨を養殖(放牧)してカウボーイならぬホエールボーイがそれを管理する社会を描く、よく「クラークは未来を予見していた」なんて言われる際にはあんまり引き合いに出されない作品。

なんだろうなー、3部構成の第1部「練習生時代」と第2部「監視員時代」は、どちらかというと古き良き(なにしろ半世紀以上前のSF小説です)海洋冒険SFみたいで、謎の巨大深海生物を追い求めるような流れなのだけれど、第3部「官僚時代」で突然セイロン島の仏教原理主義者が出て来て鯨食に反対する社会SFになる、というのはどうにも乱暴な気がしなくもない…。キリスト教イスラム教も他の何もかもが捨て去られた「世界連邦」で、なんで仏教が大きな地位を占める設定にしたんだろうと思ったら原著が刊行された1957年ってクラークがスリランカに移住した時期なのね。

 

なるほど。

 

クライマックスも唐突に起きる海難事故と英雄的な救出活動でどうにも展開が雑…なんだけれど、「海洋SF」のイメージを作り上げた、これは記念碑的な作品ではあるのでしょう。それと、クラーク作品にしては珍しく(?)ヒロインのインドラ・フランクリン(旧姓ランゲンバーグ)女史、ウォルターの妻にして二児の母であり生物学者でもある褐色美人キャラさんが実に実に魅力的です。

 

きっとメガネだな。メガネに相違あるまい。