ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

川崎康宏「銃と魔法」

 1994年刊行の、書影の帯にもあるように第5回ファンタジア長編小説大賞準入賞作*1。刊行当時読んで随分面白かったのをよく覚えていた一冊が、たまたま神保町@ワンダーの路面棚で110円の値札が付いていたのでたまらず確保する。四半世紀以上開けての再読だけれどやはり面白かった。

「ファンタジー世界は何故永遠の中世なのか」というようなことはよく言われるけれど*2、そんな風潮に真っ向から立ち向かうような現代アメリカ風異世界を舞台にエルフとドワーフの警官コンビを主人公に据えたファンタジー警察小説。異世界とはいえグロッグだのフェラーリだの果てはニューヨーク市まで出てくるけれどいいじゃん別に、面白いんだし。おっさんふたりの軽妙な会話がテンポよく話を転がして、伝統的な「○○分署シリーズ」のように様々な警官たちが入り乱れるストーリー。その警官がゴブリンとかトロールとかまあいろいろな亜人種揃いで、そういう連中が既に「いろいろあったが、いまでは普通の人」となって社会を構成している現代。この設定だけで勝ったも同然な気がします。公民権ならぬ「亜人権」を巡って大規模デモが起きている状況というのは現代よりも60年代アメリカ風だけれど、むしろ本書刊行当時、1990年代の日本のファンタジー小説界隈では山本弘スチャラカ冒険隊のシリーズで一石を投じた「モンスターの人権」問題にストレートに影響されている*3のだな、というのはいま本書を読んだだけでは解り難いかも知れません。

ストーリー自体は軽めのクライムコメディといった感じでここにファンタジー小説のお約束を放り込んでいければいくらでもお話書けそうな気もするのですが、残念ながら本書と続編「青い炎」のみでシリーズは終了。作者も2010年ぐらいまでは散発的に作品を発表していたようなのですが、近年は活動されていないのかな?いささか残念な気もします。おっさんばかりでまともな女性キャラがストリートギャングの情婦ぐらいしか出てこないとか、タイトルにもある「魔法」がクライマックスで発動するかと思いきやいきなりスベって失敗するとか、そういう外し具合がよくなかったのかしら。

 

そういうところが好きなんですけど(´・ω・`)

 

*1:調べたらこの年は大賞は該当作なしだったそうな

*2:中世警察とかのモロモロはさておき

*3:なにしろイラストも同じ草彅琢仁だ

D・H・ウィルソン&J・J・アダムズ編「スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選」

ビデオゲームをテーマにしたアンソロジーということで、創元SFのラインナップとしては先日読んだ「この地獄の片隅に」*1の流れなのね。原書は全26篇のところを12篇に削っているのは「傑作選」だからまあいいのか。しかし原書が500ページ超のアンソロジーというのはもう紙ベースで考えてないのだろうなあ。ことによると一本ごとのバラ売りをやってるのかしら、知らんけど。

ゲームとSFというのも昔からあるけれど(「エンダーのゲーム」なんて直球だ)昨今の作品群だけあって昨今のようなFPSオープンワールドだったりVRだったりするものが多いです。そこを敢えてオールドタイムなテキストアドベンチャーを取り入れるものもありで、バラエティは豊かだ。VRFPSといえば昔SFマガジンVR特集で読んだなーと思いながらページを進めていたらまさにその作品、ヒュー・ハウイーの「キャラクター選択」が載ってて嬉しい再会…とはいえ、巻末解説には

コリイ・ドクトロウ「アンダのゲーム」以外はすべて本邦初訳・初出だ。

なんてあってちょっとモニョる。そのコリイ・ドクトロウ、「マジック・キングダムで落ちぶれて」の人なんですね。あの作品の設定は先進的だったなーとそれもまた懐かしく。いやストーリーはちょっとその、ね*2。とはいえ「アンダのゲーム」は本書収録作の中ではいちばんよかった。いかにも最近のアメリカSFらしいジェンダーポリティカル・コレクトネスが題材なので苦手な人は苦手かもしれないけれど。

ゲームというのは実に幅広い概念で、ゲームをテーマにした小説というのも当然幅広い内容になる。現実と虚構、自我と自認、ループとリトライとまあ色々で、自分が余りゲームをやらない人間だから、ゲーム小説の本質に、果たして触れられているのいるだろうかという疑念は、ちょっとあるのですけれど。

 

しかし古橋秀之の「ソリッドファイター」は面白かったですねーとふと*3。そういえば格ゲーを扱った作品が載ってないなこれ。

 

ジェリー・ユルスマン「エリアンダー・Mの犯罪」

 

ツイッター第二次世界大戦の起きなかったパラレルな世界を描いた作品と聞き、興味を覚えて手に取る。古い文春文庫ということでそんなきっかけでも無ければ読むことも無かったろうなぁ…。冒頭、まだ第一次世界大戦勃発前のウィーンで貧乏な画学生がいきなり謎めいた美女に射殺されるシーンから始まるのですが、よく見るとカバー画がまさにその瞬間を描いているんですね。若きアドルフ・ヒトラーを亡き者にすることで結果第二次世界大戦は回避され、時は流れて1984年。ヒロインのレスリーは長らく会わずに居たままだった父親が逝去しその遺産を受け取ると、そこには謎めいた手記とタイム・ライフ版「第二次世界大戦史」なる、起きてもいない戦争の詳細な記録が残され…という導入。レスリーの生きる1980年代と祖母であるエリアンダーの生きる時代が複雑にカットバックされていく中で明らかになるのは、ひとりの人間が時を越えて歴史を改変し、無償の愛のために準じた過去と、そして隙あらばいつでも軌道修正を試みる「時代」の暴力性といったところか。極めて近しいのはケン・グリムウッドの「リプレイ」かな?あれは歴史を改変しようとする人間の主体的行為を視点に据えていたけれど、こちらはむしろ傍観者として一体何が起きたのか、何が起こっているのかを謎解きのように読み明かしていく構成です。著者ジェリー・ユルスマンのこれが処女作だそうなんだけど、どうも他には邦訳された作品は無いようで。

登場人物たちがタイム・ライフ版「第二次世界大戦史」を分析して決してこれが荒唐無稽な作り話では無いこと、実感のある現実として立ちはだかってくるパートではちょっと「高い城の男」を思い出すような高揚感、架空の世界の架空の人物たちの焦燥を現実の自分(僕が、ですよ)が鳥瞰するような不思議な感覚を味わう。このめまい、SFである。

短いカットバックで繋がれる各章の頭には、その世界での新聞記事やニュースの断章が引用され、それもまた面白い。第二次世界大戦が起こらなかったからと言って世界は平和なままでもなく、1950年代のうちにソ連は崩壊し、大日本帝国大東亜共栄圏は1980年代まで持続している異世界というものが、おぼろげながら浮かび上がってくる。

傑作だと思うのだけれど、現在は絶版でまず復刊もしないでしょうからそれは残念ですね。ヒトラー以外にもナチスドイツの高級幹部が生きてたり死んでたりして、その辺の名前に通じてるとプークスクスするところもアリです(笑)

 

大森望・編「NOVA 2021年夏号」

NOVA 2021年夏号 (河出文庫)

NOVA 2021年夏号 (河出文庫)

  • 発売日: 2021/04/03
  • メディア: 文庫
 

 

大森望編集による書き下ろしSFアンソロジー、NOVAも長いなーと思いつつ実際に読むのは初めて。これまで「年刊日本SF傑作選」でNOVA初出というのはいくつか読んでいるけれど、なんでか本巻にまでは手が届かなかった。なんでだろうな?英会話教室みたいな名前だからかな(そんな馬鹿な)

そんなNOVAになぜ手を出したかと言えば池澤春菜嬢初の小説が掲載されているから…なのだけれど、実は以前に別名義で書いてたのを知らずに読んでしかも長年書棚に在り続けていたというのは本当でした。道理で文フリで売り子などされていたわけですなうむうむ。

その池澤春菜嬢初小説は堺三保監督作品映画「オービタル・クリスマス」のノベライゼーションという結構な変化球で、短編映画のノベライズというのもなかなか掲載する場が見つけ辛いものではありましょうね。さきにWEBで先行公開された際にも読んでいるのだけれど、未見の映画の小説化作品というのは判断に困るところがある(笑) 映画では少女だった(らしい)密航者が小説では少年になっているので、何か他にも違いはあるのだろうか?しかしムスリムの宇宙ステーション職員が初対面の子供の幸運と幸福を願ってクリスマスを祝うという結構攻めたシチュエーションにしては、当該人物の言動がどうしても日本人のように見えてしまうというのは、そこは難しいところなんでしょうね。と、言うだけなら楽だな。しかし作家池澤春菜の今後の活躍を大いに願いたいところではあります。メルティランサーのノベライズとか(無理)

 

その他の収録作品では坂永雄一「無脊椎動物の想像力と創造性について」がダントツに良かった。ちょっと「地球の長い午後」を思わせるような蜘蛛SF。酉島伝法「お務め」はいつもの酉島伝法らしさが全然無いおかげで実に読みやすかった。○○○と○○○○という*1、題材的にはありがちなものなのだけれど、ラストの静謐感が良い。ちょっと「アウトサイダー」ぽくもあるのだなー、ラヴクラフトのね。柞刈湯葉「ルナティック・オン・ザ・ヒル」は滑稽で残酷な月面上の戦闘を風刺的に描いてこれも良かったなあ。

 

全体を通じて「なるほどなあ」と思わされたものだけれど、なにが「なるほどなあ」なのかはヒミツだ。なんだよ(´・ω・`)

 

でもこれほんとは2020年夏号なんだよな。去年AERA池澤春菜・夏樹対談で「夏に出るアンソロジーに一本書いている」みたいなことを言ってたものな。

 

 

*1:最近ではマンガでも扱われて有名なネタ

川村拓「事情を知らない転校生がグイグイくる。」⑧

 

 今巻より6年生編。クラス替えもあるけれどメインキャラは何故か同じクラスに集まって、そして今回初めてクラス全員の顔と名前が提示される。新キャラであるとともにクラスの中から「モブ生徒」が一掃されるというわけで、ひとりひとりにドラマがあるのでしょうね、今回さっそくカップルが一組いたり不登校の稲田さんとかいきなりヘビィな人が出てきたりで、ケアというかセラピーみたいな話が続くのだろうか?とはいえ不登校って治癒されるようなものでもないしなあ。

そういうところにグイグイいくのが西村さんだったのはちょっとおどろき。1巻と比べてなんと立派になったことか…(ホロリ

ジョン・ジョゼフ・アダムズ編「この地獄の片隅に パワードスーツSF傑作選」

 パワードスーツSFでアンソロジーが組めるのだからアメリカのSF業界って変なところだな、と思う。作品の数なら日本にだっていくらでもありそうだけれど、それで面白いものが出来るかどうかはまた別で、しかしマンガやアニメのパワードスーツ描写を集めて差異や特色を注視したら結構面白いことになるかも知れませんね。

てっきり狭義のミリタリーSFみたいなものを連続で読まされるのかと思ったけれど、スチームパンクや恋愛小説や猫SFなど収録作品はかなり幅が広い。とはいえ日本版では十二編に厳選されてのこの内容なので、オリジナルの全二十三編だとやっぱり狭苦しいミリタリズムばかりになったりするのかな?

 

どの作品もひとつひとつの「スーツ」に技巧を凝らしているような印象を受けたので、せっかくだから全十二編の簡単な内容とスーツの特色みたいなことをまとめてみようと思います。

 

・ジャック・キャンベル「この地獄の片隅に」

原題 “Hel’s Half-Acre” をこういう邦題に訳すのはまあ営業ヂカラってやつなんでしょうけれど*1、本作の「アーマー」は由緒正しい歩兵戦闘用装甲強化服です。強化服自体をひとつの閉鎖空間として給餌や排泄などもクローズドで行い、服の内側と外側とのいわばディスコミュニケーションがテーマなのだろうな。無能な将軍の無謀な作戦に従い大損害を出した部隊の生き残りが将軍の「アーマー」に殴りかかると…というオチ。HJ連載版のMADOX-01って今見ても傑作だと思うの(ネタバレだ!)。また本作のみならず収録作の多くがパワードスーツと共に「AI」を重要な役どころに置いているのは、注目すべき点かも知れません。ハインラインの時代にはなかったものね

 


・ジュヌヴィエーヴ・ヴァレンタイン「深海採集船コッペリア号」

いわゆるパワードスーツと深海探査(あるいは戦闘)って縁が近そうですが、あんまり見た覚えがありません。その昔「海洋戦闘ダイバード」というのがあった*2けれど読んでないなあ。そもそもパワードスーツだったのかなあれは。本作に登場する「メカ」はスーツよりも大型なイメージで、深海作業用に耐圧殻の中で人間が動くとそれをトレースするような構造のもの。加藤直之のイラストではグラスキャノピーを持った機体として描かれている。コッペリア号に搭載されている「メカ」がどれも個別の構造(カスタマイズ?)であるのはちょっと「絢爛舞踏祭」を思い出したり。お話の方はサルベージ船のクルーが海中で拾ったデータドライブに記録されていた映像から、2つの惑星間を巡るトラブル(戦争?)に巻き込まれる…というようなもの。実際のところそれが戦争の芽生えか単なる海賊事件なのかは、実は判然としない。なんか長編の冒頭みたいでもある。本作のメカはそれぞれ個性的なAIが搭載されて自律機動も可能なもの(敵対集団の機体はもっと原始的というか旧式である)。

 


・カリン・ロワチー「ノマド

本書にはパワードスーツの搭乗者ではなくスーツそのものを主人公に据えた作品も散見されます。それらは「人工知能SF」として捉えることも可能でしょう。本作の「ラジカル」は搭乗者となる人間が誕生したばかりのうちに装着され、その成長と共にハードウェアや搭載AIも同時に進化していくというタイプの機体です。人間の搭乗者とラジカル、2つが揃った融合体によって組織されたギャング集団で、長年の相棒を失ったラジカルが新たなパートナーを得て復讐を遂げ、無所属(ノマド)として生きていくことを選ぶストーリー。川又千秋の「火星甲殻団」をふと思い出したりで日本のSF業界もむかしからいろいろやっているのだ。


・デヴィッド・バー・カートリー「アーマーの恋の物語」

ブルース・ウェインとトニー・スタークを足したような大金持ちで天才的な発明家アンソニー・ブレアは常にアイアンマン的な「アーマー」に護られて暮らしている。その実態に興味を抱き近づいた女性ミラ・バレンティックはブレアが実は未来世界からの逃亡者だという秘密を明かされ…。スーツを脱がせて生身の人間に迫ろうとするヒロインと、かたくなにそれを拒絶するブレアとのかけひきがメインとなるお話で本作の「アーマー」は多分心の鎧なのでしょうね。一方通行のタイムトラベルや美女と野獣ならぬ美女とパワードスーツの恋愛作品(なんて日本的シチュエーション!)など見どころは多いのですが、食事の際には指先からストローが生えてきてズルズル啜るというシーンが妙に印象的。


・デイヴィッド・D・レヴァイン「ケリー盗賊団の最期」

19世紀末のオーストラリアを舞台に蒸気機関で動く鎧が登場するスチームパンク的作品。題材となったケリー盗賊団というかネッド・ケリーは日本でどこまで知られているのだろう?かなりインパクトのある人類なのでFGOに出てきたりしないのかしら?史実では鉄板で作られた甲冑をまとっていたネッド・ケリーが、本作では隠棲した発明家アイクのもとを訪れて蒸気動力パワードスーツを製作させ…というもの。アイク老人は甲冑製作を強要される立場なのですが、本人もノリノリで強固なものをこさえ、あまつさえ自ら「ゴリアテ」などと命名してしまう展開。しかしこの爺さんもかつてはイギリスで名声を得た天才で、そして作ったものがなんでも爆発してしまうという恐ろしい過去を持っていたのだ!*3ゴリアテ」なんていかにも死亡フラグなネーミングセンスでありますw

しかしネッド・ケリー、自分がこの人を知るのがもう少し前だったらなあと思うこともありでちょっとその、ね…(なんだよ)


アレステア・レナルズ「外傷ポッド」

アレステア・レナルズは短編集「火星の長城」にパワードスーツを描いた作品(表題作ですね)があったけれど、同書に収録されている「ダイヤモンドの犬」を思い出すようなちょっとグロテスクな一編。近未来の(地球上の)戦場が舞台で、前線で負傷しAI搭載で自走(歩行)可能な「野戦医療ユニット」に収容されたケイン軍曹は、医療AIの説明とは違って自分自身がいまだ最前線に取り残されていることを知りポッドの制御と戦場からの離脱を試みる。しかしやがてポッドの内側と外側の世界、現実と虚構、自分と自分自身との境界線は曖昧なものとなり、そして…。短いながらも鮮烈な印象を残す一本、収録作家の中でも(おそらく)日本では一番名高い人で、そこはさすがの腕前かな。


・ウェンディ・N・ワグナー&ジャック・ワグナー「密猟者」

人類が広く宇宙に進出し、地球が人類遺産保護区に指定されている未来世界。月生まれの主人公カレンは自然保護官(レンジャー)として活動するにも「パワードアーマー」による防護が欠かせない。それに対して地球生まれの同僚たちはスーツ装着にも自然環境保護にも熱心には見えない。職務に対しては不真面目に思えながら自然保護官としては優秀な同僚ハーディマンが、実は裏では異星種族シルク類と取引を繰り返していて…。かなりの未来世界なのにレンジャーたちの移動手段がハンヴィーという車(そのまんまだ!)なのには違和感があるけれど、自然保護官の装着するアーマースーツが異常に強力で、装着者が死亡しても直ちに蘇生される。異星生物の腕も簡単に引っこ抜いちゃう。女性キャラクターにパワーを持たせる術として、サイボーグとパワードスーツは優秀なガジェットではある。ところで「ハーディマン」という名前は実際のパワードスーツ開発史に大きな関連がありますね(岡部いさく先生の巻末解説も参照)


・キャリー・ヴォーン「ドン・キホーテ

スペイン内戦の末期、共和国側の切り札的に投入された小型且つ強力な人型*4で一人乗り*5戦車「ドン・キホーテ号」。個人の手によりわずか一台だけが作られ、戦場に投入された姿を目撃したアメリカ人ジャーナリストはその驚異的な性能と戦争の行く末に何を案じたか、そしてどのような行為に及んだか、というもの。これはガソリンファンタジー小説だ。自分はこういう作品をそのように呼んでいる。世の中的にはなんちゃらパンクかもしれないが。

「戦争ってなんだ。もう戦争は起きないだろう。ミュンヘン協定が結ばれたんだから」

この台詞に感じ入る心こそSF的なワンダーだと僕ぁ思うのです。ああ、こういうのをね、やりたかったんだよね。


・サイモン・R・グリーン「天国と地獄の星」

本作の未来社会地球はかなりディストピア的な帝国のようで、交通事故などの重症者を半ば強制的に「ハードスーツ」と結合して異星でのテラフォーミング作業に投入している。知性を持つジャングルのような植生を有する「アバドン星」でのテラフォーミングは圧倒的に地球側不利で、投入された要員は無意味に損耗を続けるちょっといやかなり暴力的で何の幻想も再現しない惑星ソラリスみたいなところだ。スーツとはいえ身体と不可分に結合された「ハードスーツ」の中身はかなりグロテスクで、弐瓶勉の絵で見たい感ある。ジャングルの先で発見された前任者のスーツの中身が空っぽで、内側には花々が咲き乱れているというかなり絵になるシーンも良い。結局主人公ポールは事故死した妻を模倣したAIとスーツから逃れて人間ではないものになる。ここでのスーツは人を守るものというよりは束縛の象徴みたいな働きだ。これはなかなか良い作品でした。


・クリスティ・ヤント「所有権の移転」

本書収録作にはすべて加藤直之による扉絵があるけれど、カバー画に採用されている縞模様の機体は本作のものなのね。こちらも搭乗者ではなく機体AIを語り手に据えた作品で、本来の搭乗者を殺害されて犯人に機体を強奪された「外骨格(エグゾ)」の「わたし」がいかにして復讐を果たし、独立した知性体となったかを描いたもの。回想シーンで本来の搭乗者カーソンの行動が点描され、そこにある平和主義的な思想と所有権の問題がクローズアップされる構造。「我は、我である」って神林長平が随分前に唱えた文言だけれど、日本SFって先鋭的だなと思うんですよ今更ながら。

ところで加藤直之画伯の扉絵、電書版だとカラーになってるらしい。それは紙の本ではなかなか出来ないことですね。


・ショーン・ウィリアムズ「N体問題」

模型メーカーのマスターボックスに「宇宙の果ての奇妙な仲間シリーズ」というのがあるけれど、差し詰めそんな感じの宇宙の果て、ループと呼ばれるワープゲートのどん詰まりみたいなハーベスター星の、いかにも場末感漂う極めて地球的な安酒場で*6で「メカスーツ」をまとった女性、地球法執行局のナディア・アイ執行官と出会う主人公。元軍人アレックス・ロンバートという彼も「具体(コープ)」という一種のクローン*7のような存在で、決してスーツを脱がないヒロイン(さっき似たような話を見たぞw)と共にどちらもアイデンティティに微妙なゆらぎを抱えているような印象がある。ハーベスター星に設置されたループはどこにも繋がらない壊れたジャンクションと目されているが、実は…というもの。その部分よりもアイ執行官のスーツの中のほうがたぶんメインなのだろうけれど、やはりHJ版MADOXはすげーなと思う訳です。


・ジャック・マクデヴィット「猫のパジャマ」

宇宙と猫のSFなので猫SFアンソロジーにも収録されるポテンシャルを秘めた作品。パルサー天体バロムス星の軌道上研究ステーションの事故に遭遇した貨物船カパーヘッド号の船長ジェイクは、訓練生のハッチンズと共に救出作業に赴き、船に一着のみ搭載されていた「ゴンゾースーツ」でステーション内部に入り込む。ステーションの乗員は全て死亡しスーツも破損していたが、ロッカールームには猫が一匹取り残されて…というもの。一着しかないスーツでどのように猫を救出し自分も安全に帰投するか問題がメインテーマであって、パワードスーツSFとしてはちょっと弱い、しかし猫SFとしては結構な強度があるんではないでしょうか紳士。

 

ひとつひとつの作品は小品ながら、かなり面白いものが多かったように思います。やはりパワードスーツというものもハインラインの昔からある(岡部いさく先生の指摘によればハル・クレメントの「重力への挑戦」が先行しているとのこと。高重力下の保護用スーツだけれどね)ものだから、それを主軸に短編書こうと思ってもやっぱりなにかひと工夫を凝らさないと「二等兵物語に宇宙服を着せただけ」になりかねないのでしょうね。人間と環境、閉鎖空間と自我、AIとその自己意識。パワードスーツSFというのはそのようなテーマを描きやすい作品なのかなと思いました。それでいてロボットSFとはちょっと毛色が違うのですね。AIひとつとっても人間との関係性がロボットSFとはどこかに差異がある。それが面白いところなんだろうな。

*1:直訳すれば「地獄の半エーカー」で、まあ片隅具合はあるのか

*2:富士見ファンタジア文庫だっけ?遠藤明範の作品で、実は「機甲戦記ドラグナー」にコンペで負けた企画らしい

*3:誇大表現

*4:厳密には人型ではないが

*5:いちおう二人は乗れるスペースがある

*6:「旅路の果て」というベタ過ぎにも程がある店名だ

*7:クローンというか人格や記録を上書きできる存在らしいか