ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

樋口恭介編「異常論文」

SFマガジン2021年6月号特集をボリュームアップし、ハヤカワ文庫JA通巻1500冊記念として文庫化された話題作。ひとことで言うと、

異常だ。

まあその、読んだというか読みはしたというか目は通したというか。変な本です。無理に全部熟読したり理解しようと努めなくても、たぶんいいと思う。正直途中すっ飛ばして読んだ作品とかある。「完全なる真空」をやりたかったんだろうなあというのもわかるしそれに成功してる(だろう)物もあるんだけれど、大半は意味のわからん文章の羅列だ。SFって変ですね。SFマガジン掲載時も1本しか読まなかったしなあ。

ただその1本、それだけは森の中に隠された一本の樹のように社会から隠された真実について記されている。思うに、そもそもこの企画自体が「異常な論文の集合であるという体を成して、こっそりと世の中に真理の剣を解き放つ」目的で始められたのではあるまいか。このことに気が付いた私の身の周りでは、何者かに尾行されたり私信を開封されたりブログ記事を改竄されたりと不審なことが立て続けに起きている。生命の危機を感じる。

私がまだ無事でいる間にこの真実をwebに書き残さねばならない。「異常論文」のなかに隠された真理、唯一の真実とは小川哲の「

グラント・キャリン「サターン・デッドヒート」

日本SF作家クラブと蔦屋書店の主催で先日開催された「SFカーニバル」。それに併せた選書フェア「日本SF作家クラブが選ぶ偏愛SF200とちょっと」で会長が推していた1冊。当日の会場では流石に並んでなかったんだけれど、GWに改装閉店直前の三省堂書店神保町本店に行ってみたら古書市のフロアで見つけたので、例のしおりふくめて入手。フェアにあった会長自身の推薦文によると

 

土星の衛星上で見つかった古代の遺物、考古学者クリアス・ホワイトディンプルは、規格外な早老の天才ジュニア・バディルを相棒に、人類史を賭けた謎に挑む。スペース・コロニーと地球の熾烈な遺物争奪戦、クリアスの意外な成長とジュニアのキャラ性!! とびっきりのエンターテインメント

 

となってます。なお同じ人が 「ハヤカワ文庫SF総解説2000」  でも本書解説を担当していて、成程入れ込んでる模様。

一読して、久しぶりにハードSF読んだなあという気持ちになりました。「一読して」などと書いたけど、こっちの脳内ソフトは全然ハードSF向きじゃないのでそこそこ時間はかかった(笑)巻末のハヤカワ文庫SF紹介を見るとラリー・ニーヴンやグレゴリィ・ベンフォード、ディヴィッド・ブリンなどが並んでいる時代の作品なのですね。

スペースコロニ―の大学で教鞭をとる考古学者の主人公が、土星の衛星イアペトゥスで発見された異星人の遺物解析に招聘され、そこから始まる探索行というまあ、巻末解説にもある通り「2001年宇宙の旅」に触発されたタイプの作品で、木星の代わりに土星、四角いモノリスの代わりに六角形の人工物と、わかりやすくズラしてある。そしてそれを残したと思しき異星人はあらゆることに6に拘り、ヘキサーズと呼称される。あらゆることに3に拘ったどこかの異星種族*1のようだw 六角形モチーフなのはおそらくこちらの事象によるものと思われる*2けれど、刊行当時は最先端の知見だったんじゃないかな?そんな感じで先行作品というかクラークの影響が強く感じられるんだけれど、「デッドヒート」とあるようにコロニーと地球との間で異星人遺産の争奪戦が繰り広げられ、そこで描かれるアクションや人物造詣が見どころで、それは本書に白眉なものです。原題は単に"SATUNALIA"(土星宙域?)なんでこれは邦題が良いですね。

「2001年―」よりはもう少し現代に近い近未来、「ストレートな宇宙SF」「太陽系を舞台にしたリアルなSF」とは解説にある文言ですが、そういうタイプの作品です。計算に(どうも)電卓叩いたり録音機器がテープレコーダーだったりする(らしい)ところがまた「1980年代に見た未来」みたいで、一周まわってむしろ今は心地よいなあ。

それで、ちょっとびっくりしたんですが、主人公のクリアスには同棲しているガールフレンドのヘザーというキャラがいて、これが実に薄っぺらく描かれて実に薄っぺらく退場してしまう。まあ低重力コロニーで生活していたキャラが高重力下の土星でミッションする話なんで、女性キャラを活躍させる余地も無いのかなーとか思っていたらですよ、

 

なんとBLだったの (小声)

 

この時期のSFでこの路線*3ってだけでも驚きなのに、インテリマッチョおじさんと天才早熟老化少年のそれってマニアック過ぎませんか?マニアック過ぎませんか会長!?

 

ひさしぶりにこのフレーズが過ぎった。

 

池澤春菜はガチ。

 

 

*1:https://abogard.hatenadiary.jp/entry/20141213/p1

*2: 土星の六角形 - Wikipedia

*3:追記:考えてみると、そこも含めてクラークリスペクトなのかも知れませんな紳士( ˘ω˘ )

さなコン2に参加してみました。

www.pixiv.net

 

さなコン2すなわち「第2回日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト」です。自分で小説書くのもおよそ15年?ぶりだろうというぐらいの有様ですが、ご興味ありましたら一読ください。参加作品一覧はこちらに。

ナターリヤ・ソコローワ「旅に出るときほほえみを」

ちょっと前に読んで、そのときは感想上げなかったものを再読。

変な話だ。なにしろ昔はサンリオSF文庫で出ていたぐらいだ(さらに前には「怪獣17P」なるタイトルで大光社から出ていたそうです)。ソビエト時代のロシアで1965年に刊行された作品であー、ブレジネフ時代が始まった頃なのね。まあそういう時期の作品です。何が変って主人公の名前が《人間》で、固有性が全く無い。何故そうなったかは最後まで読めばわかるようになっているけどこれ「名前を奪われた人」の話なのね。ただ、その他の登場人物も《見習工》《作家》、総裁、国家総統などと役職だけで呼ばれるので、みんな変だから変さがあまり際立たない。唯一女性キャラのルサールカだけには名前があるけれど、これもどっちかというと「妖精」みたいな意味合いなんだろうなあ。なお役職を《》でくくられているキャラとそうでない者とに重大な差異がありそうなんだけれど、特に本文中で触れられる訳ではない。

で、怪獣が出てくる。これも変だ。怪獣と言っても地下掘削用の機械であって、十七番目の試作ということで17Pという名前が付いているけれど、ほぼほぼ怪獣と呼ばれる(なおこの怪獣を作った《人間》は、その働きから怪獣製作者と呼ばれることもある。それもまた奪われてしまう肩書なのだけれど)。この怪獣は単純な機械ではなく意志を持ったロボットで、生体部品(体内を循環する液体)を維持するためにかエネルギー源は何と生肉である。変でしょう?

それで実験初期に起きた事故で、地中深くでエネルギー切れの危機に見舞われた怪獣を救うべく、《人間》は自らの腕を切り落とすのだった。泣ける話だ。朴訥で義に熱い怪獣のキャラクター性は、本作いちばんの癒し。

話の筋は《人間》と怪獣を主軸に据えながらも、不当な手段で権力を握った独裁者の専横と、それに対する《人間》の反駁と敗北、追放という流れになる。「この話は、いささかおとぎばなしめいてはいる」と本文に明確に記述されているけれど、よくもまあソ連時代に権力批判の話を出せたもんだなと、それは驚きました。あくまでヨーロッパの西にある国を舞台にし、《人間》は大陸の東側へ追放されて行くのだけれど、高度に抽象化された寓話は政治思想の左右を問わないので、オーウェルの「動物農場」が決して共産党批判だけの文脈では済まないように、本作もまた資本主義国家批判には止まらないものでしょう。

怪獣の軍事利用と国家総統の横暴さに反対した《人間》は、その名前も肩書も剥奪され祖国を追放されてしまうのだけれど、あとに残した《見習工》とルサールカのカップルそして怪獣の三者、つまり若い世代と科学技術に希望を託すような、決して悲劇性だけでは終わらないところがなんか良いなあと思ったのです。

 

だからちょっと、そういう話が書きたくなったのよ。

太田忠司「鬼哭洞事件」

狩野俊介シリーズ30周年の節目に刊行された11年ぶりの新作。いまは創元なんですね。このシリーズも若いころずいぶん入れ込んで読んだものだけれど、いつのまにか遠ざかってしまっていた。調べてみたら「狩野俊介の記念日」までは読んでいたので「百舌姫事件」「翔騎号事件」の2作を押さえれば大丈夫らしい。そうなのか(´・ω・`)

シリーズ初期の作品はいくつか文庫化されてるけれど、徳間ノベルズのみの中期の作品の方が、いまは却って読み難いのかも知れません。ああ、そうか自分が読み始めたのは「狩野俊介の冒険」からで、あれは1993年の初版刊行なんだ。成程あの時期は、そういうものを渇望していたんだなーと、なんとなく感慨に耽る。最後に読んだ「–記念日」が2004年の作品だから、18年ぶり…ということになるのか。

斯様に読者の方は30年経つ訳だけれど本編ではまだ3年ぐらいしか経っていない。これだけ作品の内外で幅が開くといろいろと齟齬を来たしそうなものだけれど、狩野俊介シリーズ特有の「現代世界のようでいて、実は現代ではない世界」という設定、やや大仰でどこか儀式めいた、まるでノスタルジックな演劇のような、「探偵小説のための舞台である異世界」という設定が活発に息づいてくるような気がする。現実離れしている方が、むしろ作品設定としては自然だ。そして推理小説によくある世界設定の過剰な突飛さを売りにするような作品とも違って、ほんの少しだけ(そして多分善良な方向で)現実から離れた物語を安心して読める。

 

俊介くんかわいい(大事)

 

今回もう一人の探偵、いや野上さんじゃなくてな、いわばライバル的な立ち位置でもう一人の探偵キャラが現れて、よくある推理合戦をするかあるいは(黄金パターンなので割愛)かと思いきや、むしろ人生観というかひとの、自分自身の在り方を問われるような(問い詰めるような)キャラとして配されていたのが面白かった。野上さん他周囲の大人たちは強権的で断罪的な「正義」であるところの烏丸孔明のような人間に俊介くんがならないよう、影響されないよう腐心するのだけれど、そうはならない「道」を示すのもまた大人の役割ですというのはやっぱりいいなあ。いささか胡乱な依頼人と怪しげな屋敷、旧家の禍と苦みの残る解決。安心して読める狩野俊介シリーズです。

 

俊介くんかわいい(2度目)

 

しかしロン毛で孔明っていったらやっぱりアレだよな。俺あっちの方は知らないんだけど今回のお話は狩野俊介vsエルメロイII世みたいな側面があるんだろうか。ないんだろうか。どっちなんだ。とはいえむしろ、推理小説によくある怠惰で不真面目で社会性に欠ける仙人みたいなタイプの名探偵に俊介くんが出会ってしまったら、そっちのほうが大ピンチではないだろうか。そういうのも読みたいです(´・ω・`)ノ 

狩野俊介vs折木奉太郎とか。vs関口巽とか。関口君探偵じゃないけど(´・ω・`)

 

いやしかし

 

俊介くんかわいい(3度目)

 

池澤春菜・池澤夏樹 訳「無垢の歌」「子供の詩の庭」

考えてみると詩集の感想というのは書いたことが無い。あまり読まないジャンルでもある。皆無ではないけれど。

 

池澤春菜嬢・夏樹娘父の翻訳ということでいってみればこちら*1の続きのキャッチボールではある。刊行順ではスティーヴンソン「子供の詩の庭」のほうが先でブレイクの「無垢の歌」のほうが後なんだけど、確認せずに先にブレイクを読んで後からスティーヴンソンを読んでしまった。そこに何か違いはあるのかな?基本、春菜嬢が詩を訳して夏樹父が解説を加えるスタイルなんだけど、「子供の詩の庭」では夏樹父が詩を訳して特に春菜嬢からの解説が無いというページもあり、「無垢の歌」の巻末には原書で対になる「経験の歌」からいくつか抜粋されていて、こちらも夏樹父の訳。

おもうに、一度読んでどうこうというよりは、時々折々にページを開いて読み返したり繰り返したり、なんなら音読もしてみたりとか、詩集ってそういう読みものなのでしょうね。朗読というのもいいのだろうなあ。原書からの挿絵も掲載されてて楽しい本です。まあ親…向けなのかな。子供のための詩とはいっても18世紀・19世紀の詩人の作品だから、そこで歌われているものが21世紀の現代にも通じることを、そのことの良さみを、子供の目で読み取るのは難しいかも知れない。そんなことを考える。