カート・ヴォネガットの、主に初期作品からなる短篇をすべて収録するシリーズも、これで完結。今回は「セクション6 ふるまい」「セクション7 リンカーン高校音楽科ヘルムホルツ主任教諭」「セクション8 未来派」の合計28篇。
「セクション6 ふるまい」は第3巻の「セクション5 働き甲斐VS富と名声」とあまり変わらない印象を受ける金持ちと庶民の話を、主に投資顧問会社のセールスマンを主人公に据えて書いた作品が中心となる。「セクション7 リンカーン高校音楽科ヘルムホルツ主任教諭」はより連作性が高く*1、リンカーン高校のマーチングバンドを題材に、ティーンエイジャーの悩みや問題をバンドマスターの音楽教師が解決する作品群。8については後述。
基本はどれも「いい話」で、これまで「大人向けの童話」*2だとか「まだ古典になってない古典」*3だとか「モラル」*4だなあと感じて来たようなお話が続くわけですが、今回の巻末解説で柴田元幸が
一九五〇年代というのはこういう敷居の低い短篇小説をいろんな雑誌が載せていたんだなあ
などと身も蓋も無く書いているように、正直つまんないです(´・ω・`) 作者本人ですら、これらの作品に書いた内容と結末については何ひとつ信じていないんじゃあるまいかというぐらいに、軽薄で中身がない。その点で興味深いのはセクション7で、自校のバンドについて過剰なまでに偏愛するヘルムホルツ先生が様々な生徒の悩みや苦しみを、これホントに解決してるの?いい話なの?などと疑問を感じて読んでいくと、最終的には「あんたなんにも解決なんかしてないよ」と当の生徒に叩きつけられて終わるという、皮肉な作品でこのシリーズは終了する(このセクションにはまだもうひとつあるが、それは未発表の没原稿である)。
そこで「セクション8 未来派」に行くとようやく(?)吾知るところのヴォネガットらしさ、現代に対する不信、未来に対する不安、モラルに対する疑問、そういう皮肉を煮凝り固めたような作品が現れる。セクション1を戦争で始めてセクション8をこれで締めるのはなるほど確かに良い編集・構成なのかもしれません。そこで扱われているテーマや視点には、現代の日本でも共有可能な閉塞感が満ちています。とはいえ、やはり解説で
いま読むと……と期待しても残念ながら無駄である
なんてバッサリ切り捨てられている*5ものではあるので、よほどヴォネガットに思い入れがあったり、なんらかの研究対象にでもしていない限りは、果たして読んで面白い本なのかは甚だ疑問であります。若い読書家の方々が過去の著名な作家を知るための初めての入り口には、まー向かないと思いますよ?まあビアフラ問題などを通じて「拡大家族論」を説いていた作家が「明日も明日もその明日も」みたいなお話を書いているんだから、考えてみればアンピバレンツなものではありますが。
また柴田元幸は解説のなかで自分とヴォネガット作品との出会いについて「スラップスティック」を挙げている。やはりヴォネガットの良さは長編、あるいはエッセイに現れるのではないだろうか。爆笑問題の太田はこれら初期短篇をどう評価してるんだろう?ちょっと興味がわいたけど、ちょっとだけなのでどうでもいいか(´・ω・`)
ところでわたしとヴォネガット作品との出会いですが、たしか「チャンピオンたちの朝食」だったと思います。*6
それもどうなんだろう(´・ω・`)
*1:といっても別に連作として発表された訳では無いが
*2:http://abogard.hatenadiary.jp/entry/2019/07/10/205111
*3:http://abogard.hatenadiary.jp/entry/2019/03/20/210754
*4:http://abogard.hatenadiary.jp/entry/2018/10/28/110547
*5:正確を期せばこれは未発表作品群に関しての評価なのだが