NOVA初というか日本初の「女性作家だけによるSFアンソロジー」となる今回。前巻の感想はこちらに。今回はもう少し丁寧に1作ごとに見て行こうと思います
・池澤春菜「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」
本作が載っていることがいちばんの読書動機なんですが、厳密にいうとこれ「書き下ろし」じゃないのですよね。ゲンロンSF講座第6期に「柿村イサナ」名義で提出された作品(いまでもWEBで読める)をブラッシュアップしたもの。厳密に比べてないのでどこを変えているのか、あるいはそのままなのかは不明。タイトルはアブラム・ディヴィッドスン「あるいは牡蠣でいっぱいの海」のパロディである筒井康隆の「あるいは酒でいっぱいの海」のさらなるパロディ…なのだけれど、先行作品どちらも読んでいません(´・ω・`) ダイエットをテーマに人類の体重増減が固定化される特異点となってしまった主人公と意識ある脂肪の塊約1㎏(の概念)との暴力的なコミュニケーションも楽しいスラップスティック、考えてみれば「ケロロ軍曹」の脚本もやってたんだし、こういうノリとイキオイで回していくのも手馴れているのでしょう。ところで、脚本には人称って無いのだろうけれど、池澤春菜(あるいは柿村イサナ)名義で書かれた小説ってどれも1人称だなってふと。
本作には実は続きもあるのだけれど、果たしてそれは出版化されるのでしょうかしら?
O・ヘンリーに「緑の扉」という短編がある。街頭で配られているチラシに記された謎のメッセージによって起こる、ささやかな冒険とちょっとした出会いを綺麗にまとめたもの。本作はなんとなくそれを思い出した。ネット上で展開される謎のゲームの参加者たちの「勘違いによって」幾度も訪問される主人公。ささやかな行き違いから見えてくる、人の抱える漠然とした不安や好奇心や、新しい出会い。そういうことでしょうか。そして本作に登場するカップルの初々しさは、なんていうかかなりマニアックだと思う。
・芹沢央「ゲーマーのGlitch」
VRゲームの最短ルートクリアを競う試合の実況という体で語られる、ゲーマーの喜び、願いとはなんだろう?というような内容。ゲームそのものはあくまで媒体で「ゲームをやる」ってどういうことなんだろう、人はそこに何を求めるんだろうと、そんなことを考えさせられる。こういう作品がごく普通に世に生まれるようになるとは、「ソリッドファイター」の頃には思いもよらなかったものです。
・最果タヒ「さっき、誰かがぼくにさようならといった」
人造琥珀の中に「愛してる」という言葉を、気持ちを込めた声を封じ込め、それを売る商売をしている主人公と、取材者として現れたAIとの、どこか空虚でなにか詩的な「愛について」の対話。後半で突然戦時下に放り込まれてしまうエロスとタナトスの融合は、やはり詩的で、そして素敵です。
・揚羽はな「シルエ」
幼い娘が事故により脳死状態となった父親の、延命治療を維持するか停止するかの煩悶のさなかに現れる娘そっくりのアンドロイドは、離れて行った妻が研究・育成しているものだった。父の願い、母の願いを「義娘」はどう叶えるのか。「子はかすがい」というけれど、かすがいは子になれるのだろうか。このお話は父親の立場を三人称視点で描いたものだけれど、もしも母親の立場から一人称で描いたら、それはそれでエグイ話になりそうな気がする。そういうことを考えるのは多分、このアンソロジーが全て女性作家の手によるものだ。という情報があるからだろうなあ。
・吉羽善「犬魂の箱」
えっこれ面白いぞ。江戸時代風な異世界で、一種のパンチカードによるプログラムで稼働するロボット「使機神(しきがみ)」が普及している社会を舞台に、子守用に作られた犬型の張子「犬箱」が、「子どもを守る」という自らに課せられた本来の命令を大幅に拡張しまるで意志を持つかのように「子どもを守る」お話。何らかのシンギュラリティが犬箱たちの間で広がりはじめて、それで何が起こるかというと…
そこで終わっちゃうのはあんまりだ(´・ω・`)
アイデア書き出しで終わることなく、長編化を求めたい一本。
・斧田小夜「デュ先生なら右心房にいる」
惑星開発用の宇宙ロバと、宇宙ロバを専門に診る獣医のデュ先生と、その助手のショウと、それから幾人かの人物と人物ではないものと、とにかく様々な視点で紡がれる、やさしい物語。文体がね、いいんですよ。地の文の中に会話をシームレスにいれて、そしてここぞという時には「」を使って切り出す。こういうものをやりたいなあ。やさしい話もね、いいよね。「彼、のちにヨンゴウ」が光の下に進み出で、歩み始めるその瞬間の尊さとかね…。
・勝山海百合「ビスケット・エフェクト」
スーパーカブで海を目指す少年の視線と、未来世界でシカ型異星人と初めて直接コンタクトする地球外交官の思いが交錯する海辺の鹿せんべい。一見するとケッタイな組み合わせが実に清涼感あふれる結末を迎えるのはいいなあ。そして少年の居る近未来の地球社会が(度重なる震災など)かなりヘビィな世界なことを、間接的に魅せているのも巧いと感じます。なんか「2084年のSF」に載っててもおかしくないなあとか思います。
・溝渕久美子「プレーリードッグタウンの奇跡」
ファーストコンタクトはなにも人類だけの特権ではない。と強く主張する一本。プレーリードッグとその生息地域を訪れたエイリアンとの間で始まる奇妙な共同生活と、それを通じてプレーリードッグたちが強くたくましく成長していく様と、それを人類に伝えようと何の代償も求めずに発せられた語りと、そして何も気づかない人類。SF界隈で人間より賢い地球生命と言えばハツカネズミとイルカに決まっておりますが、ここにきて新たな知性の登場だ!!
・新川帆立「刑事第一審訴訟事件記録 玲和五年(わ)第四二七号」
架空の「玲和」日本で起きたとある傷害事件の裁判記録という形式で、原告被告の証言からひとつのストーリーを描き出す作品。傷害罪に問われた被告はある死刑囚(執行済み)の母親で、傷害を振るわれた側はその死刑囚の起こした殺人事件の被害者遺族である。どちらの証言も微妙に共感し難いように感じるのは、おそらく意図的なものでしょう。被告側のある仕掛けが作用して話は幕を下ろすのだけれど、微妙に居心地が悪い。それはおそらく舞台となっている架空世界の架空の制度(死刑囚の最期の食事と刑の執行を見学できる法制度)自体の、共感のし難さや居心地の悪さと通底したものなのだろうなあ。
ベタなネタでもグイグイ読ませるのは流石ベテランの筆致で、書くべきことと書かずに済むことの取捨選択が非常に巧みなのを感じる。とはいえメンバーが揃って俺たちの戦いはここからだ。の最初の「こ」あたりで話が終わってしまうのは如何ともしがたい。長編の冒頭部分だけというより悪ノリで書きたいとこだけ書いたようにも見えて、そこはちょっとモヤる。まったくの新人だったらこれは許されないだろうなあ。
・斜線堂有紀「ヒュブリスの船」
「楽園とは探偵の不在なり」の作者による「探偵のいる地獄」のお話。ループネタというのも定番ですけれど、終わらないループというのはやはり地獄で、煉獄でもある。幾度となく繰り返されるクローズドサークルの中で、探偵と殺人犯、モラルとインモラル、正気と狂気、そういうものが次々に崩れていく様を遠慮なく描いた匕首のような一本。
・藍銅ツバメ「ぬっぺっぼうに愛をこめて」
最後の一本は怪談でした。妖怪よりもそれによって引き起こされる人の感情が怖いというタイプのお話しか。本作もゲンロンSF講座の作品がもとで、奇しくも「ひとりの女性とフワフワした謎の生き物」「存在を固定された人間」という2点が冒頭作品と重なりひとつの輪を描く。良い構成です。
・編集後記
「男性SF作家アンソロジーはそれと知らずに誕生するが、女性SF作家アンソロジーは意識しないとつくれないということになる」がなにか、重いなって。しかしアメリカだって意識しないと女性SF作家アンソロジーは作らないだろうなとは思う。