ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ミック・ジャクソン「こうしてイギリスから熊がいなくなりました」

こうしてイギリスから熊がいなくなりました
 

 イギリスには熊がいないそうである。

 

言われてみれば確かに聞いたことがない。ヨーロッパで熊と言えば(イギリスはヨーロッパかという疑念はさておき)どこだろう。ベルリンのシンボル動物は熊だけれども、やはりロシアか。ロシアはヨーロッパかという疑念はさておき。

イギリスから熊がいなくなった顛末を連作的に語り続ける短編集だけれども、別にそれが「実際にイギリスから熊がいなくなった顛末」ではなくて、寓話めいたファンタジーとして紡がれている。寓話めいてはいるけれど、何らかの教訓や道徳的主張が成されているかと言えばそうでもない。

 

ヘンな話だ。

 

挿絵は素朴なタッチで描かれているけれど、題材自体は死んで樹から吊るされている熊だったり、飼育係を絞め殺す熊だったり、下水道からの脱出を願う熊たちの画だったりする。全編は薄暗いトーンに満ちて、そこで記されるのは有史以来虐待を受けてきた何世代もの熊たちの姿だ。

 

史実とは無関係だけれど。

 

熊を題材に何かの隠喩、例えば社会の下層階級や被差別階級にスポットを当てたようなつくり…に、見えないことも無いのだけれど、社会的な話かと言われれば必ずしもそうとも言えないように思う。

 

訳者あとがきも「本当に変な本だ」で書きだされているし、実際その通りなのだけれど、不思議な余韻は残ります。むしろあとがきで解説される「イギリスから熊がいなくなった本当の顛末」と「その後の影響」が普通に面白かった。なるほど王室貴族のキツネ狩りを「伝統だから」と是認すること自体に、反対する人がいる訳だなあ。

 

伝統でもなんでもないので(´・ω・`)

ラリイ・ニーヴン「無常の月」

 同題の短編集はハヤカワ文庫SFの327にもあるけれど、そんなこと知らなくても生きて行けます。というわけで本書は2018年に刊行されたベスト盤もとい版。ハードSFの大家として著名だけれどこれまで読んだことなかったよなーと思って手に取ってみたけれど、それはちょっと思い違いで十代のころにジェフリー・パーネルと共作とはいえ「降伏の儀式」を読んでいた。

…たぶん十代の頃に「降伏の儀式」を読んだからその後は全然手を出さなかったんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか(笑)

有名なリングワールドシリーズ(というかノウンスペースシリーズか)も3本収録されていて、「パペッティア人」とか「ゼネラル・プロダクツ製の船殻」とか、これまで単語でしか知らなかったものをちゃんと読めたのは純粋に嬉しい。特に後者は<あっちの>ゼネプロでまず知ったクチだから、考えてみれば随分と遠回りである…。このなかでは「太陽系辺境空域」の登場人物シグムンド・アウスファラーが非常に面白かった。「中性子星」にちょっとだけ出て来た時は単なる小役人じみた人物だったのにまあすごい。「太陽系―」では「降伏の儀式」のスペースシャトルアトランティスにも通じる重武装宇宙船を所有し、まあその他重度の武器マニアである。良いなぁ…。

表題作「無常の月」は天文学的に破滅する地球と最後の瞬間を過ごす男女を描いたもので、こういうの80年代の18禁マンガとかでよく見たような気がしますw まあいろいろそういうものの原点なのかも知れないね。映画化企画が進んでるようだけど、これ2時間ほどの映像にしちゃったら単なるディザスター・ムービーにしかならんのじゃあるまいか。短篇ならではの叙情だと思うのよねこういうのはね。

その他ファンタジ―作品が2つ収録されているのだけれど、「終末も遠くない」はこれ明らかに読んだことがある。しかしどこで読んだか思い出せない。これまでにウォーロックシリーズの短編集などいくつか邦訳されているようなんだけれど、どれも未読のものばかりでハテ…。S-Fマガジンで再録とかやってたっけ???

ハードSFというのは設定に比べてキャラの魅力があまり無いような偏見が(やや)あるんだけれど、そんなのは思い違いでむしろキャラクターが面白かった。そういう1冊でした。

 

 

 

イアン・バクストン「巨砲モニター艦」

 

巨砲モニター艦

巨砲モニター艦

 

1914年から1965年まで半世紀にわたるその存在期間に、二度の世界大戦で重要な役割を果たした42隻のイギリスのモニターについての、起源、活動、末路について書き綴った本稿が、誤った認識を正さんことを望むものである。英国海軍は、二度とこのような艦を建造することはないであろうから。

本文末尾の記述より。モニターあるいはモニター艦(monitor)というのは「軍艦の一種で、比較的小型で低乾舷の船体に、相対的に大口径の主砲を砲塔式に搭載したものを指す」とwikipedeiaにある*1。さかのぼれば南北戦争の装甲艦「モニター」*2に始まる艦種で、個艦名称がそのままクラスというかカテゴリー名になったというのは結構珍しいのではあるまいか。あまり海軍関係詳しくないのですけれど。モニターに類別される艦艇には「河川砲艦」なども多いのだけれど、本書はイギリス海軍が建造した、主力艦並みの砲戦能力を持ち第一次及び第二次の両世界大戦に於いて実践に投入されたモニターについての解説書です。他に類書は無く非常に貴重な研究書で、海軍史のメインストリームには決して乗ってこないような補助艦艇(なにしろ船というより浮き砲台に近い)の開発と運用の実態など、知らない話ばかりで大変面白かった。

こういう船をある程度の数で揃えられたのはイギリスならではの国情や地勢というのが影響しているのでしょうね。それまで連綿と続いた建艦競争の、常にトップを走っていたイギリスには、第一次世界大戦勃発時に転用が効くだけの旧式戦艦の主砲が余剰としてあったし、国内で外国向けに建造していた砲艦を接収したりアメリカがギリシア向けに建造していた戦艦にストップをかけることも出来た。そしてそこで得られた兵器を沿岸防御ではなく対地攻撃に回せられたのは、それは当時のイギリスと敵国ドイツの地勢的な状況によるものでしょう。旧式戦艦の主砲転用と言えばまず普通は沿岸要塞砲としての使用だろうけれど、当時の英独の海軍力ではイギリスが守勢に回る必要は、たぶんなかったんだろうな。アメリカや日本の場合はまず太平洋(及び大西洋)を横断しなくてはならないので、喫水線数メートルで最大速力6ノットなんて船*3は、まあ持たんでしょうなー。

華々しい海戦などひとつも無いのだけれど、地上目標への攻撃方法、主に照準と観測の手法の発達度合いが詳述されていて、なるほど海軍というのは砲兵が戦うところなのだなーと(そりゃ水雷屋も航空屋もいるけどさ)、再認識した次第。第二次世界大戦のノルマンディー戦役に於いて、モニター艦ロバーツ(二代目)が射程距離外の目標に対して、艦に意図的に横揺れ(ローリング)を起こしてその頂点で仰角を稼いで砲撃というのはなかなか熱い展開ではある。

チョロいオタクなのでプラモも欲しくなったけど、キットがあるのはそのロバーツが1/350であるぐらいか。トランペッターなのねフムン。

 

トランペッター 1/350 イギリス海軍モニター艦 HMS ロバーツ F40 プラモデル
 

 

どうせなら第一次大戦型の、それも初期の方の艦があればいいのになあ。パーツ少なくて済むぞw

 

ましかし、こういうイギリス軍の変な兵器の本を読むとすぐに「英国面www」とかやりたくなるけれど、それは待った方がいい。なにしろ本当に変なモニター艦はイタリア海軍が持っていたのだ。いや円盤艦ノヴコロドっちゅーのもあったけどさ。

*1:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%83%BC%E8%89%A6

*2:宮崎駿の雑想ノート」が題材として取り上げているので、そのスジには有名である。どのスジだ。

*3:WW1モニター艦の中でも後期に就役した艦やWW2時期の艦は無論性能は向上している

スタンリイ・エリン「特別料理」

 

特別料理 (異色作家短篇集)

特別料理 (異色作家短篇集)

 

 「ぜんぶ本のはなし」で取り上げられていた*1ので興味をもって手に取ってみる。表題作は古典の名作ではあるのだけれど、近年の日本では米澤穂信のオマージュ作品の方が知られているのだろうというか自分もそっち*2を先に読んだのだけれど(笑)

そんなわけであらかじめオチまで全部知って読んだからインパクト自体はそれほど強いものではなかったけれど、これがミステリ史上に残る傑作で現在に至るまで多くのフォロワーを産み出したことはよくわかりました。そして巻末の解説(山本一力による)で、この作品は「倒叙法」ミステリーなのだという指摘を見てなるほどなーと唸らせられる。オチがすべてでは決して無く、むしろ読者の予想通りの結末へと向けて、いかに緊張感を以って作品を構築しているかが魅力なのだというわけですね、そういうふうに出来ている。

そしてむしろ予備知識なく読んだ他の収録作品もクラシカルながら決して古びず、上品なスリルとサスペンスを味わえる逸品ぞろいでした。個人的には「お先棒かつぎ」の、考えてみればこれも一風変わった倒叙ミステリと言えなくもないのだけれど、意外性と緊張感の盛り上げかた、ラストの何とも言えない余韻が良かった。「奇妙な味わい」とはまさにこういう物を言うのだなあ。前に「いい加減別の名前を付けたほうが良い」みたいなことを書いた覚えがある*3けれど、やはり他に言い換えられるものでもないか。

 

ヒッチコック、そうヒッチコック的なんでしょうね。「ヒッチコック劇場」のような上質の恐怖と、決してグロテスクにはならない人死にと、そういうものだな……

 

池澤春菜・池澤夏樹「ぜんぶ本の話」

 

ぜんぶ本の話

ぜんぶ本の話

 

 池澤春菜嬢が作家池澤夏樹の娘であることは、むかしはあんまり広言されなかったように思うのだけれど、それでも結構前からこの2人が親子だ、ということは知っていた。そういえば明石家さんまの番組に「著名人を親に持つタレント」だかなんだかのゲストで出たことがあったなあ…

 

で、まあ親子そろって熱心な読書家である2人がたがいの読書体験を語ったりおすすめの作品を挙げたりするというきわめてほっこりした内容です。気の合う友人同士のような父娘というのはいいよね。児童文学や少年小説、SFやミステリーと言ったジャンルごとの章立てで、あくまでメインは「本の話」をすることであって、ひとつひとつ本の内容や書誌的なことについては軽くふれていくような感じです。差し詰め「戦わないビブリオバトル」か。そういうのもいいよな。そいえば以前ニコ動のビブリオバトル企画でコテンパンに(以下略

 

児童文学の章で「翻訳が出た頃、それを読むべき年齢を過ぎてたんだろう。そういうタイミングってあるよ」との発言*1にハッとさせられる。自分がハリポタにイマイチ乗れなかったことを思い出したんだけど、翻訳に限らず出版全体に於いて、自分がそれを読むべき年齢を過ぎていて、アンテナに引っかからずに流れて行った作品も多いのだろうなあ。福永武彦についての話やお互い「書く」ということについて話し出すと、急にシフトアップするような感があって実に宜しい。春菜嬢が何年も前から別名義で脚本書いていたとはついぞ知らずにいたものでまあちょっといや大分驚いたな(  Д ) ゚ ゚

きっかけとなった作品が原作付きアニメーションで、連載のストックが切れたオリジナル展開のプロットを提出して…というのは間違いなくアレだろうという確信的推測が出来るのだけれど*2、さて名義は一体誰なんだろう?それを詮索するのは流石に野暮か。

 

しかしいつかSF書いてほしいですね、春菜嬢にも。

 

そしてずいぶん前に池澤夏樹の「マシアス・ギリの失脚」で「人生を達観するならなるべく早い方がいい」のような文言を読んだことを思い出して、実際そのように生きてきたことだな…と感慨にふける。ぜんぶ本のせいだ(笑)

 

*1:池澤夏樹による「ドリトル先生」評

*2:恐ろしい宇宙人の地球侵略を描いた作品だと思う

酒見賢一「後宮小説」

 

後宮小説(新潮文庫)

後宮小説(新潮文庫)

 

 「改版」というのもあるらしいけれど(amazonで出てくるのはそれらしいのだけれど)、読んだのは平成五年刊行の文庫本(の、二十一刷だった)。第一回ファンタジーノベル大賞受賞作で、これまで初期のファンタジーノベル大賞関連は色々読んでて、いくつか好きな作家や作品もあります。でも本書は未読だったのよね。理由はやっぱり「アニメで見たから」に尽きる訳で、原作とアニメはずいぶん違うとも聞き及んでいたけれど、なんでか知らずか読む機会が無かった。それを何故いまさらかと言えば理由はやっぱり「アニメを見たから」になるわけで、先日BS12で久々再放送されたのをきっかけに手に取ってみました。

成程ずいぶん違うというか、アニメの製作スタッフはこの二重にも三重にも人を食ったような怪作を、よくもまーあれほどソフトでしっとりしたラブロマンスに仕上げたものだなーと感銘を受ける。1990年という時代はスタジオぴえろ全盛期であったし、ジブリアニメ的な作風は世の中に落とし込みやすいものでもあったろうけど、偽書偽史)であり且つポルノでもある「騙り」を削って普通の作品(普通ってなんだ)にしたとしても、一歩間違えばこれ中華風くりいむレモンになりそうなところを、よくこらえたものですね。やはりスポンサーがデカいから無茶も出来ませんでしょうね(´・ω・`)

性行為自体はそれほど生々しく描写はされないのだけれど、性の哲学と後宮の在り方みたいなことは滔々と述べられていて、それがまったくもってフィクションだというのが、本書のもつユニークさでもあります。20代にしてこれほど怪しい(褒めてますよ)作品をよくも投稿したものだし、審査員もよくもこれを選んだものである。決して「新人賞」ではなかったはずのファンタジーノベル大賞が、その後長年にわたって稀有な才能を持つユニークな作家たちのカタパルトとなり得たこと、そういう方向性を持てたことは、この第一回大賞受賞作品のおかげに他ならないことでしょう。

 

アニメと比べると渾沌のキャラが実に良い。アニメでも渾沌自体はいい味を出すキャラだったけど、原作はそれ以上で、そして怖い。江葉の良さも格別だけれど、江葉の名セリフはアニメオリジナルだったのだなー。セシャーミンもタミューンも、コリューンも角先生もイリューダも、要は皆キャラが濃いのだな、アニメと比べると。

ブッツァーティ「タタール人の砂漠」

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

 人生とは不条理なもので、不条理なものに囚われる人間というのはしばしば文学が止揚するテーマでもある。有名なところでは安部公房の「砂の女」があるけれど、本書「タタール人の砂漠」も人が不条理な場に囚われる物語であります。砂漠に面した国境の砦で永遠に来ない敵の訪れを待ち続けるまま無意味に年月を重ねていくドローゴ中尉の人生、この手の話では必ず(?)そこから逃げだせる機会をあえて選ばないという機微があるけれど、本書も同様ではある。「砂の女」はそこで話が終わったけれどもこちらはさらにその先があり、ついに敵の訪れと戦いがまさに始まらんとするそのときに、ドローゴは老いと病で砦を追われることとなる。そういう不条理、無意味さの先に待ち受ける死、タナトスとの対面を描いたもの。

 

これ若い頃に読まなくてよかったなあ。就職氷河期のボンクラ学生が見たら死ぬぜ(´・ω・`)

 

齢とってから読んでみると、まあ世の中だいたいそんなもんですからねと(´・ω・`)

 

ところで巻末解説はブッツァーティの来歴を主に説いているけれど、児童ものへの言及がないのはなんでなんだぜ。