ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

伴名錬・編「日本SFの臨界点 新城カズマ 月を買った御婦人」

昔から名前は知ってるけどちゃんと読んだことって無いよなーと思い。少なくともアンソロジーに収録された1本は読んでるのか。

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「雨ふりマージ」、その時はあまり印象に残らなかったし今回も「架空人」の設定にいまいちノリきれないものを感じる。表題作「月を買った御婦人」がいちばんよかったですね。19世紀のメキシコ帝国を舞台にあれメキシコの帝政ってなんだっけなと疑問を抱く間もなく高貴な令嬢が5人の求婚者に提示する無理難題ってこれかぐや姫じゃん!と驚かされるもそこから始まる怒涛のジュール・ヴェルヌ的宇宙開発オルタネイティブヒストリー。その過程で「メキシコ帝国」なる存在が合衆国滅亡後北米大陸を支配する強大な国家であることが明かされて行ったりと、ドライブ感が強い。必ずしも蒸気機関が題材ではないけれど、スチームパンクのパンク的な良さがあって、よかった。

日本SFの臨界点シリーズは「短編集はその作家のポートフォリオである」という、まさにそんなコンセプトで編まれたようなシリーズでもあるので、詳細な解説からは昔から名前を知りながら実際はほとんど接してこなかった新城カズマの全貌を知ることが出来て、それもよい。「サマー/タイム/トラベラー」も、いずれ読んでおこうかな。

 

メリッサ・スコット「孤独なる静寂」

「天の十二分の五」に続くシリーズ第2段。前巻の感想はこちら。

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スター・ウォーズ旧三部作の影響だろうなんてことを書いているけれど、そもそもキャラクター配置がスター・ウォーズep4の変奏なんですね。ルークを女性化してハン・ソロとチューバッカと3人で結婚して、そしてオビワン・ケノービに相当する「師」も現われる。

今回の物語は前作の後段での成り行きから一行のメンバーとなった魔術師イザンバードにより魔術師の教育を受けているサイレンス・リーから始まり、覇国(ヘゲモニー)からの追っ手を逃れて地球行の手掛かりを持つと目されたイザンバードの旧友のもとを訪れる一行。その旧友であり惑星イナリメ総督でもあるアデベンは覇王(ヘゲモン)への叛意を持ち蜂起の計画を準備していた。しかしアデベンの娘、貴姫アイリは覇王の人質として女宮での軟禁生活を送っている。そこでアデベンは手掛かりと引き換えにアイリを救い出す取引を持ち掛ける。当然白羽の矢が立つのはこの世界唯一の女パイロットにして宇宙船乗りのサイレンス・リーなのであった……!

という、実に分かり易い「おつかいミッション」を課せられることころもSW的だなと思うのです。ep5「帝国の逆襲」ってそれでしょう?ともかく、本書後半はほぼ覇国の首都(主星)アンシャール・アステオリナの女宮を舞台としての潜入作戦と、そこで生じるいくつかの出会いが主となります。前作でちょっと出てきた覇国の軍人マーシニク少尉が、中尉に昇進して意外な形でサイレンスと再会するところは面白かった。彼を良い人に描いてたのは布石だったんだろうか?

前作今回とも主人公たちは軍事作戦に巻き込まれるのだけれど、前作も今回も軍事作戦自体はどこか杜撰で、なんとなく軍事というか「男性軍事社会」へのジェンダー的な視線は感じます。ラストバトルで反乱軍艦隊大ピンチをサイレンス・リーの魔術で全部ひっくり返して、おまけに覇王もそこで死んでたらしく、クーデターの立役者になってしまったのは出来過ぎじゃないかとも思うのだけれど。まあ女宮を脱出する機会が「皇妃の婚約を祝って深夜に開催される水鉄砲を使ったサバイバルゲーム的遊戯を利用して」というのもえーそれはなんですかそれはーてな感じもしますが、まあそういうものだ。セイキ姫かわいい。アニメ化したら小原好美さんが声を担当されるとよろしい(決めんな)

次回最終巻な訳ですが、今回の展開で新体制の完全なバックアップを得られるようになった一行が、ではどんなドラマツルギーで冒険するのかは、逆に興味が湧きました(笑)

アルフレッド・ベスター「イヴのいないアダム」

創元SF文庫の未読を読むキャンペーンです。

「分解された男」「虎よ!虎よ!」あと「ゴーレム100」か。ベスタ―というと長編のイメージなんだけど、こちらは短編集。もともと河出から「願い星、叶い星」のタイトルで出てたものに2編追加して創元で文庫化という流れです。河出版は読んでないと思うんですが、その「願い星、叶い星」とあと「ごきげん目盛り」は既読でした。

ベスターの長編はどれもインモラルというかなにか不穏当で不健全 不謹慎、そうだな不謹慎だな。なイメージがあるんだけれど、基本、短編でもそれは変わらないな…と、思いました。主人公となるキャラクターの行動原理、倫理規範、どこかモラルのタガを外したようなストーリー。そういう作品が多い。タイムトラベルネタとか、何らかの理由で人類が滅びて「地球最後の男(必ずしも最後ではないし男とは限らないが)」的な存在となる話も複数。いちばんボリュームがあるのは中編「地獄は永遠に」だけれど、個人的には「地球最後の女」となったヒロインと「地球最後の男」との出会い、そしてはじまる奇妙な共同生活を描いた「昔を今になすよしもがな」がよかった。どこか薄氷を踏むような危険が垣間見え、お互いになにか狂気を隠しつつ、突如として急展開を迎え謎のままに物語は終わる。よいねえ。

最後に配置されてる一本「くたばりぞこない」が、これまた地球最後の人類ネタなんだけれど、最後に発せられる言葉と行動がものっそ不穏当で不健全 不謹慎でクソワラタ。あのセリフにそういう感情を乗せるのはなかなか無いぞ。

「わしが地球最後の人間だ」と彼は叫んだ。

いやホント、マジでワロスワロス

 

坂井のどか「もののふうさぎ!」

「女子高生が主役の小説は全部ファンタジーだ!」とかやってきたけど、流石にそれもどうかと思うライト文芸作品。第6回文芸社文庫NEO小説大賞優秀賞の、「居合」をテーマにした青春スポーツ小説…というところで。

これまで武道にはあまり縁が無い人生を送って来ましたが、実は中学校時代は剣道部に所属していました。たぶん「いい感じの棒」を振り回すのが楽しかったんだろうなあ。全然大成しませんでしたが、いまでもいい感じの棒を振り回すのは好きです。ネギとか。それで、大学に入ってから教養課程の時期に体育の授業でちょっとだけ弓道をやりました。弓こそ引いたものの、射場に出ることも無く屋内の至近距離でアーチェリー用の紙の的を使ったんだったかな?ほとんど体験学習に近いものでしたが、これはちょっといい経験になりました。弓道って「的に当てた方が勝つ」競技ではないんですね。あくまで「的を外した方が負ける」競技であって。同じじゃん!と思うかもしれませんし実際いまこうして書いていてもそれのどこが違うんだろうかと思わなくもないけれど、例えばボウリング(温泉を掘らない方)というスポーツは、最初から最高得点が決まっていて、いかにしてそこから外れないかという「引き算」で競うスポーツです。スコアを重ねて得点を競う「足し算」の球技ではありません。「スターボウリング」見ればわかります。もうやってねえよ。弓道もそれと似ていて、あれは正しく弓を引けば正しく的中するもので、もしも「外れた」ならばそれは競技者が正しく弓を引けていない。そしてその「正しく弓を引く」という行為には恐ろしくレベルの高い所作が要求される。弓道ってそういうものですね。

などと偉そうなことを言っても半年に満たない時間を体育館でやっただけなんだけどな!!信じるなよ!!!

前置きはそれぐらいで本作の感想です。「居合」がテーマだと聞いてちょっと不思議だったんですよね。自分はその分野に全然明るくないのですが、なんとなく居合、居合道というのは「独り」で型を演じる演武のようなイメージが強くて、時代劇にはよく居合を使うキャラがいますが(緋村抜刀斎とか)、お互いが居合で戦う場面というのはなかなか想像があー「椿三十郎」のラストがそれかなあ?ともかく居合、居合術同士で試合をするってどういうことなんだろう?西部劇の早撃ちみたいになるのかしらん?とかそんな気持ちで読み出しまして。

まるで知らない世界な話の分、一人称で主人公が「説明」を重ねていく文体は読みやすいものでした。流派の名前などは実在のそれから違えているそうなんですが、例えば金額はともかく高校生でも結構簡単に刀を所持することが出来て、あれは実際そういうものなのかな?いわゆる「業界小説」でもあるのか。刀の取り回しや姿勢、体捌きなども(これが歴史小説異世界チャンバラ小説などの「実戦」であればまた違うんでしょうが)武道がテーマであるので、いま自分がどういう状態にあるのかを本人がどう認識しているのか、という解説・説明的な記述が大事なんだなと、それは気づきを得ました。剣道に精通しているような人が読んだらまた別なのかもしれませんが、おそらく想定読者層はそこではないでしょう。高校生らしい部活動の延長からやがて剣術大会に参加する流れの中で、主人公の「網戸うさぎ」さんがどういう人なのか、何を思い何を悩み、何のために刀を振るうのかを自問自答していく、お話としてはそういうものです。

そしてちょっと誤解してたんですがクライマックスの「女子剣豪大会」、決して居合だけの大会では無かったんですね。いろんな剣道剣術流派の使い手が集って刃を交える。相手はどんな流派でどんな技を使うのか、そういうところの読み探りも(それは道場での「予選」でも)また、読ませどころである。

そうして勝ちを進めていくうちに自然と「型」を修めていく。マンガなどでは居合を扱うキャラを自動的な機械のように描くこともあるけれど(鬼滅のえーと、あれ、あれです)、なぜそういうふうに見えるのか。そこはなんか、得心が行きました。よく否定的な意味合いで「型に収まる」なんて言いますけれど、武道の型というのは「修める」ものなのであって、もうちょっと踏み混むとひとはその所作から余分や雑念を切り捨てて、自分を最適化して「型に成る」のでしょうね。

 

「かたな」って言うぐらいですからなってごめんそれいま考えた(´・ω・`)

 

そしてもっと大事なことは、(ちょっとネタバレになりますが)武道というのは勝ち負けの問題ではない。というのを描いていることで、これはいわゆる競技スポーツとはちょっと異なる要素なんでしょうね。無論競技スポーツにも勝ち負け以外の問題はあるのでしょうが、求道者に大事なのは道を求める行為であって、女子剣豪大会に優勝するとかそういうことではない。優勝しないと学校が廃校になる訳でもないから、不自然に勝つ必然もない(笑)

基本、女性目線の女子小説なんですが、新畑くんが最後にちゃんとフォローされてたのは、男性読者としては良かったですね。

また、「もののふうさぎ!」のタイトルですが、これはやはり「武士」と「兎」という強さと可愛らしさのギャップを表現したものだろうと思います。もののふは強い、うさぎは可愛い。

 

でもね、

 

アーサー王と円卓の騎士たちは、また違った見解を持つだろうなと思うのですよ(´・ω・`)

 

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メリッサ・スコット「天の十二分の五」

創元SF文庫の未読を読んでみるキャンペーンその2。以前からタイトルだけは知ってましたねこれ。でも3部作だとは知らなかったし、魔法の力が支配する宇宙が舞台のスペースオペラだということも知らなかった。覇国(ヘゲモニー)が支配する極めて男尊女卑な社会にあって、極めて珍しい宇宙船の女性パイロットであるヒロインのサイレンス・リーが繰り広げる冒険の旅路…と言ったところか。冒頭、船長である祖父を失い不合理に乗船を没収されたサイレンスが、その境遇を脱すべくバルサザー船長とエンジニアのチェイス・マーゴ2人が所有する宇宙船<サン・トレッダー>号に雇われそのまま2人と結婚し

あーいや、偽装夫婦ですね。複数婚も許されている社会で、ある目的のために3人は事務的な婚姻関係を結びます。この宇宙を現在支配しているのは覇国の貴族政社会なんだけど、主人公3人は皆覇国に負けて征服された側の人間で、では彼女たちがそこで何を成し遂げるのか?というのがひとつのテーマか。女性作家による80年代ジェンダーSF、社会的地位を貶められている人々を主役に据えているのだけれど、覇国の支配体制も軍事力も非常に強力なものです。<サン・トレッダー>号は実は覇国に対抗するテロ組織というか宇宙海賊<神の怒り>の支援をやってる宇宙船で、そして否応なく軍事作戦に巻き込まれアッという間に敗北し3人は覇国の捕虜となり……と、やたら展開は早い。その後コードギアスのギアスじみた神命(ガーズ)を掛けられ抵抗の意志を奪われ覇国の半ば奴隷的な地位に置かれしかしサイレンスに秘められた力によってその窮状を脱し再び独立した宇宙船に乗り組んで、今やその存在は秘匿された人類発祥の地「地球」へと向かう――という、なかなかに燃えるストーリーです。魔術的宇宙と言えば「宇宙英雄物語」を思い出したんだけど、あれより先だものねえ。スター・ウォーズ旧3部作の影響でスペースファンタジー的な作品も多かった時代でしょう。とりわけ惹かれるのは天上物質ハルモニウムを音響竜骨で奏でながら飛翔する宇宙船の在り様で、覇国の宇宙艦隊が天空から音楽を鳴り響かせて地上を蹂躙していく本書中ほどの戦闘シーンは圧巻です。地獄の黙示録か。

ああそうかアニメの「銀英伝」がクラシックをBGMに使ってたのと、通じるものもあるのかな?なんとなくね。

ヒロインが2人の男性と重婚するというのは結構驚いたんだけど、それが許され、且つちょっとどころかだいぶ奇異の目で見られる社会というのもなんか面白かった。捕虜になった時も「実は夫婦なんです、3人で」と申し出たら驚きつつも3人同じ船に乗せてくれる覇国の人たち、実はいい人なんではないだろうかいやあるまい。

魔法に反比例して科学技術が忌避されている世界で、実は地球は科学技術で守られているらしい、今後も楽しみです。

そしてタイトルの「天の十二分の五」というのはいわゆる超空間航法を宇宙の「煉獄」を通じて行うこの世界での深度(速度?)を表すもので、そしてこの宇宙観は巻末解説によると「十七世紀の新プラトン主義に基づくヘルメス学的知」で構成されてるそうです。わかりません!いーんだよ魔法で宇宙なんだよそういうことだよ!!

R・A・ハインライン「レッド・プラネット」

創元SF文庫の未読を読んでみるキャンペーン(何)ハインラインジュブナイルSFも色々読んでたけど、これは未読でした。Amazonの書影は現行版が出てるけど、図書館で書庫から出してもらった旧版で読めてむしろ良かった。なにしろ古い話だ(興味ある方はヤフオクあたり見れば出てきます)。

テラフォーミング半ばの火星を舞台に、寄宿学校の新任校長がそれまでの自由な校風を管理教育に変貌させて、それに対する少年主人公ジムとフランクの反発が、やがて火星開発を司る火星カンパニーの、火星植民地(開拓民)に対する陰謀を明らかにするというなんだか学生運動みたいな流れですが、原著は1949年刊行です。「いちご白書」より全然前です。で、まあ当然ハインラインなので権力への反発も左派社会主義ではなく家父長制的自由主義に基づくものとなります。主人公はあくまで少年二人なんですが、物語を大きく動かすのは大人たちが催行する「議会」の決断と行動なのですね。わーWASPえすえふって感じだ。男性優位というか女性キャラが全然出てこない、ジムのカーチャンと妹しか出てこないような物語で、唯一登場する婦唱夫随なキャラクターは開拓民の中でも反対派な立ち位置でおまけに真っ先に死んでしまってとかモラルやジェンダーロールの点で古めかしさは否めないんだけど、実はあんまり気にならなかった。

 

なにしろ火星そのものがえらく古典的というか古めかしいというかぶっちゃけ非科学的というか非現実的だったもので。

 

運河があり氷の海の上をスクーターが滑走し謎の原住生物や原住火星人がウロウロしているそんな火星を、いま書いたら通らないだろうねえ。75年も前のSF、むしろ異世界ファンタジー的に読んでしまえばいいのだろうなあ。男子2人のブロマンスもの、メインとなるのは火星の運河をスケーティングで駆け抜ける逃避行か(実際新版のカバー画はそれである)。非科学的、非現実的な火星と言えばブラッドベリだけれど、あれほど詩情に溢れているわけでもない。フムン。

 

ハインラインの長編としてはまだわずかに5作目、言葉の足りないところや展開のせわしなさはあるのでしょう。それでも後年の「ラモックス」や「月は無慈悲な夜の女王」に通じるキャラクター配置やテーマが伺えて、それは面白かった。一見ただの毛玉のようでいて実は大きなカギを握る原住生物「ウイリス」は、なんか藤子・F・不二雄のマンガに出てきそうではある。あーそうか「21エモン」とか「モジャ公」とか、そういう感じにSFなんでしょうねたぶんね。

そしてつくづく思う、80年代日本サンライズアニメの描いていた未来は、アシモフでもクラークでもなくハインラインの未来、闘争と英雄の未来だったんだろうなあと。ガンダムの元ネタは宇宙の戦士だとか、そういうことでもなくて。

東京創元社編集部・編「創元SF文庫総解説」

近年はこういう資料書籍がよく刊行されますね。むかしからハヤカワはデータベース構築に積極的だったイメージがあるのですが、創元はちょっとおぼえが無い。専門の雑誌媒体を出してたかどうかの差なんだろうか。ともあれ、文庫としてはハヤカワより早く1963年に創元推理文庫のSFマークとしてスタートした創元SF文庫の国内外(というか国外内か)あわせて約800冊の内容を解説するものです。

自分が初めて読んだ創元SFはレンズマンかなあ。当時アニメ化があったけど、そのまえにジュブナイル版を読んでたかまあそんな流れでした。チンプンカンプンだったけどね(笑)

で、全体像を俯瞰するとやはり深いなあと思わされる。よく知ってるもの、タイトルだけ知ってて内容知らなかったもの、まるで知らなかったものなど様々ですが、読みたくなる本がたくさんあって困ります、いや困りませんね。あと池澤春菜嬢が解説担当してるタイトル、かなり自分の好みに合うぞデュフフ……

やっぱりハヤカワとはちょっと毛色が違うんだなとも感じました。開始当初は冒険SFみたいなのが多いのと、あと長期シリーズが多い。途中で翻訳が止まるものも多い中でヴォルコシガン・サーガが完訳できたのは僥倖だったのかもしれませんね。途中でやめちゃったんだけどね、読むのは(え そしてマイナーなものは本当にマイナーぽくて、「マイナーの金字塔」であるサンリオSF文庫のポジションにはならないんだなあ(ディックの割とキワモノぽいのはサンリオから移籍してる)。

移籍と言えばキャプテン・フューチャーが創元から出た時は驚いたけれど、それ以外にも他の版元から移ってきた作品が結構あるのね。徳間から移った「銀河英雄伝説」が国内作品第1弾だったというかそれまで海外作品しかやってなかったんだというのは、ちょっと意外だった。「惑星カレスの魔女」なんか元々新潮文庫だもんなあ。そのあたりの版権事情なんかはさすがに詳らかにはされていない。ここにも深い沼がありそうズブズブ

「天の十二分の五」「レッド・プラネット」「世界の果ての庭」このあたりは読んでみようと思います。しかし思うに、ハヤカワや創元のようなジャンルプロパーじゃないところから出たやつ(文春文庫とか)は、データーベースにも載らないんだろうな。